今日も外出許可が出て自宅でパソコンに向かっています。昨日自分の車で病院に戻りましたので、これ
からは家に通勤するようなものです。待つ人がいるわけでもないのに、やっぱりここにいると気が休まり
ます。東京から来てくれていた友人が台所などの汚れをきれいにしてくれていて、気持ちがいいこと。何
しろわたしは掃除が一番嫌いですから。
今年の正月は雪が少なく例年より暖かいようです。それでも早朝は冷え込みますから、川霧が美しい霧
氷になっているでしょう。前の家の人の話ではオジロワシが戻ってきているとか。まだスキーをつけて歩
き回る自信はありませんが、もう階段の上り下りで傷跡が痛むこともありませんので、美幌川堤くらいな
らすぐに歩けるようになると思います。オジロをカメラに収めるチャンスがあるかも。芭蕉じゃないけ
ど、「夢は荒野をかけめぐる」みたいな。
写真はまだわたしが回復室にいた日に東京の友人が撮ってくれた美幌川です。魚はシャケでしょうかマ
スでしょうか。年末はシャケの遡上には遅すぎるような気もします。マスかもしれません。
〔病床日録 後〕
07・12・31 月
傷跡はヘソの上からまっすぐ下に20僂曚鼻昨日で最大5本あったすべてのチューブから開放されま
した。鼻から気管に入っていた麻酔チューブは覚醒前になくなっていて、喉の奥の軽い違和感以外記憶に
ありません。鼻から胃に入れてガスや液を抜いていた管は手術翌日に取れました。腹腔に溜まる血を抜い
ていた管は29日まで。一番きつかったのが膀胱カテーテルです。前立腺のせいか尿道が細くなっていた
とかで、管を入れるときに出血し、6日後にやっと抜くことができました。その後も違和感が続いていま
す。最後は栄養点滴の管でした。
歩いても座っても傷口が痛みます。それでもマカロニ人間状態から自由になった開放感はすばらしい。
術後3日間苦しんだのは、傷口より背中の痛みでした。高校生のとき盲腸の手術で打たれた腰椎麻酔の後
遺症なのか、何度か右腕右足の痺れさせた椎間板ヘルニアのせいか、普段から同じ姿勢で長時間寝ている
と背中が痛くなり、寝返りを打ったり姿勢を変えたりでごまかしていました。動けない状態ではそれがで
きず、痛み止めで助けてもらいました。医者は盲腸のときのように我慢しろなどとは言わず、湿布、座
薬、筋肉注射、背中への注射、点滴といろいろ試して、わたしがもっとも楽になれた点滴の痛み止めを、
求めるたびに入れてくれました。それやこれやで、我慢できないほど苦しむことはなく、順調に回復し、
昨日は7分粥、今日は全粥です。副食は最初から固形物。
執刀医から説明を受けました。潰瘍は腹膜まで浸潤していて、目視できるところは全部取った。札幌に
送った切除部分の検査結果でより悪いほうへ動くこともあるが、現在の判断ではステージ3A。結果が届
いたら化学療法の方針を決める。だいたいそんなことでした。ステージ4まで行っていないことをラッキ
ーと思うことにしましょう。まだ何年かは道東の季節の変遷を楽しむことができる確率が高いということ
ですから。
我が家に滞在し1週間毎日顔を見せていた東京在住の友人が昨日帰りました。大学時代からの絶えない
付き合いですから親戚以上の仲です。術前術後を支えてもらいました。今日午後息子夫婦が孫を連れて富
山からやってきます。ご近所の人をはじめ、皆さんの暖かい支えがあるので、移り住んで2年に満たない
この地で何の不安もありませんでした。病院もそうですが、こちらの人は頼まなければ余計なことはしま
ないけど、頼めばいやな顔をまったく見せずに援けてくれます。
08・1・1 火
病院で元旦を迎えました。雲がかかっていてきれいな初日の出は撮れませんでしたが、その後は青空が
広がって昼間は暑いくらい。昨日の夕食は蕎麦。今日の朝食はお雑煮、昼食は散らし寿司でした。お粥に
はすぐ飽きますからバラエティーがあるのはいいですね。膀胱の違和感も傷の痛みも和らぎ、上げ膳据え
膳が申し訳ないみたいです。生検の結果が届いて化学療法が始まるまで、元気なまま病院にいても意味が
ないので、そのうちに一時帰宅することになると思います。
08・機Γ押/
昨日の夕食はまあなんと、天麩羅でした。ひとつ二つお飾りに付いていたというのではなく、天麩羅定
食みたいな量が大皿にどーんと。普段のわたしなら、カロリー過剰を心配して三回に分けたでしょう。で
もここは病院、高めの血糖値を承知で出していると思うから、全部食べました。大きめのえびが一本、舞
茸1個のほか、なす・芋・ピーマンがそれぞれ2個ずつありました。その他に茶碗蒸しときんとん。お正
月のご馳走だったのでしょうね。それにしても消化器系の患者の病院食が大量の揚げ物なんて、昔なら考
えられませんよ。
わたしがお粥は好きじゃないと看護師さんに言ったせいか、やわらかめですがご飯が出るようになりま
した。何でも言うが勝ちみたい。交通事故で入院している人が、4週間いて昨日初めてボタンでベッドが
上下させられるとわかった、と言っていました。きかなかったので教えてもらえなかった? おととい回
診のときの会話:「タバコいいですか、」「うーん、やっぱりやめられませんか、しょうがないですね、い
いでしょう」。以後、セキするたび傷が痛むのに、めげずに吸ってます。もっと痛いのがくしゃみ、傷口
が開かなかったか手で確かめるほどです。
昨日と今日で半分ずつ抜糸をしました。腹膜を切ると下痢や便秘が起きやすいそうですが、わたしはい
まのところきわめて順調。あれだけ天麩羅を食べた後でも、ですよ。直腸じゃないから肛門も残ったし、
何かとラッキーみたい。抗がん剤の投与がはじまったら泣き言だらけになるかもしれませんが、いまのと
ころ小説読んだり、箱根駅伝見たり、孫と遊んだり、ルンルン気分です。
08・1・3 木
妹二人は乳がんで、兄は大腸がんで逝きました。自分だけは無事とはいかないだろう、そんな予感はあ
りました。それに、20年ほど前から年に一度か二度下血があったので、やっぱり大腸かなーという気は
していました。それなら検査して早く見つけたらよかったのにと、言われるでしょうね。でもね、妻に先
立たれ、幼い息子を必死で支えていた時期には、怖くて検査なんか受けられませんでしたよ。兄は、初期
だから切ればなんともない、と言われて手術を受け、その後は転移転移であっという間でした。切らずに
だましだまししていたらもう少長くもったのでは、という思いもありました。
それやこれやで、下血はいぼ痔の破れと考えることにして、ずっとほおってきたんです。なにしろ下血
した日はともかく、あとの363日はお酒を飲むのに何の支障もなかったんですから。でも、今度の出血
はどろっとして今までと違う感じだったのと、息子も卒業して職に就き、嫁さんもらって孫もでき、もう
妻に託された責任を果たしたのだから、見つかってもいいやと思って検査を受けました。そしたら秘かに
予想していた通りじゃないですか、これだけぴったりだと、なんか笑っちゃいそう。
だけどいい子の皆さん、これは悪い例ですよ。マネしないでください。直腸内視鏡なんて、切腹するの
に比べたらどうということはないんですから、少しでも気になったらすぐ調べてもらってくださいね。ス
テージ0や1で、内視鏡で切除できれば予後の心配はないんですよ。兄の場合ホントのこと知らされてな
かったのかも。わたしは主治医を信頼してます(タバコだめって言わなかったから?)。全部知らされてる
と信じています。うまくいけば5年の執行猶予が明けて無罪放免になるかもしれないし、悪くても1年やそ
こらはカメラをぶら下げて歩き回れるって、思ってます。根拠のない楽観はしませんけど、悲観もしてま
せん。自分勝手な想定で思う通りにやってきたんだから、当然の報いとしてありのままを受け入れるだ
け。
最初の検査で内視鏡写真を見ながら内科医は、「危ないところだった、いつ腸閉塞や大量出血があって
もおかしくない、」と言っていました。見つかったタイミングといい術後経過といい、わたしはラッキー
だったと思っています。でも、みんなが幸運である保証はないのですから、どうか早めのご用心を。