日本の四季とキューバ・ダンス
わたしが初めて「汪溢(おういつ)」という言葉に出会ったのは、中学生のときに読んだ和辻哲郎の『風
土』のなかだった。たしか砂漠的気質を説明するところで出てきたと思う。辞書的な意味は単に「水があ
ふれて流れる」だ。しかし和辻は、抑えて抑えてそれでも抑えきれないものが漏れ出して、やがて爆発的
な表現にいたる、というようなニュアンスで使っていたような気がする。アラビアンナイトふうな、腹を
くねらせる踊りのイメージと重なったからだろうか、わたしは南アジアやカリブなど熱帯のダンス映像を
見ると、いつもこの言葉が心に浮かんでくる。
わたしにとって日本の四季のイメージを凝縮する一言は、「静謐(せいひつ)」である。燃えるような紅
葉も轟々と流れ落ちる滝も、どこか静かで整っている。そういえば、日本舞踊も流れるように優美で、滞
るところがない。跳ね返ろうとする筋肉をためて、一気の爆発にいたる熱帯のダンスとは対称的だ。汪溢
の踊りは、灼熱の太陽の下で生命をよみがえらせるオアシスや、色彩が狂乱する熱帯にこそふさわしい。
わたしは日本の四季が好きだ。カメラや腕がもっと上等なら、写真で静謐な美しさを伝えられるのに
と、残念に思う。だがその一方でときどき、渇いて水を求めるように、熱い国のダンスが見たくなる。よ
うやくこのまえCSの『ダンシング・ハバナ』という映画で、いくらか渇きが癒された。ストーリーは邪
魔だったが、ダンス・シーンはやはりいい。日本の四季はDVDにいっぱい録画した。ストーリー抜きの
キューバ・ダンスの映像も貯めたいけれど、放映予告はみたことがない。
再び峠の景色にもどりました。
土』のなかだった。たしか砂漠的気質を説明するところで出てきたと思う。辞書的な意味は単に「水があ
ふれて流れる」だ。しかし和辻は、抑えて抑えてそれでも抑えきれないものが漏れ出して、やがて爆発的
な表現にいたる、というようなニュアンスで使っていたような気がする。アラビアンナイトふうな、腹を
くねらせる踊りのイメージと重なったからだろうか、わたしは南アジアやカリブなど熱帯のダンス映像を
見ると、いつもこの言葉が心に浮かんでくる。
わたしにとって日本の四季のイメージを凝縮する一言は、「静謐(せいひつ)」である。燃えるような紅
葉も轟々と流れ落ちる滝も、どこか静かで整っている。そういえば、日本舞踊も流れるように優美で、滞
るところがない。跳ね返ろうとする筋肉をためて、一気の爆発にいたる熱帯のダンスとは対称的だ。汪溢
の踊りは、灼熱の太陽の下で生命をよみがえらせるオアシスや、色彩が狂乱する熱帯にこそふさわしい。
わたしは日本の四季が好きだ。カメラや腕がもっと上等なら、写真で静謐な美しさを伝えられるのに
と、残念に思う。だがその一方でときどき、渇いて水を求めるように、熱い国のダンスが見たくなる。よ
うやくこのまえCSの『ダンシング・ハバナ』という映画で、いくらか渇きが癒された。ストーリーは邪
魔だったが、ダンス・シーンはやはりいい。日本の四季はDVDにいっぱい録画した。ストーリー抜きの
キューバ・ダンスの映像も貯めたいけれど、放映予告はみたことがない。
再び峠の景色にもどりました。