雲を見る楽しみ

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 旅に出たときのほか雲を見なくなったのは東京でくらしはじめてからだ。高校生のとき、空を見ながら雪道をずっと歩いて、見知らぬ土地で日が暮れかかってあわてたことがあった。信濃川に架かる橋の上で、何度水と雲を眺めたことだろう。その前の6年間は標高500メートルの高原にいた。一人の時間は、小説を読んでいなければ、たいてい空と山を見ていた。冬はめったに晴れないから春が待ち遠しかった。3月の終わりになると、夜と朝は厚く積もった雪が硬く凍って、どこでも自由に歩くことができた。月の夜スキーを履いて、田や畑を隠しなまめかしい起伏をみせる雪の上をさまようと、大地にも山にも雲にも黄金色を思わせる銀色の輝きがあふれていた。
 美幌でくらすようになって、ほとんど毎日空と雲を眺める楽しみがよみがえった。澄んだ青空に浮かぶ白い雲もいいが、朝焼けと夕焼けの雲は変化に富んで見飽きない。見つめていると刻一刻と色が変わり、形が変わる。雨模様の一日の夕方薄日が射し始めて黒とピンクが交じり合うのも、晴れた朝昇りはじめた陽を背後から受けて銀白に輝くのも、どちらも見ごたえがある。だが、いい時間は短いから、見逃して残念に思うことも少なくない。