地球温暖化への異論を考える (3)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 今日の写真は、サロマ湖が袋状に入り組んだところに近いワッカ原生花園の一部、陽を浴びたエゾスカシユリオホーツク海岸砂浜のハマボウフウです。
 
 い砲弔い董わたしもそうでしたが、専門家ではない普通の人はたいてい、異常気象が増えているとか、すでにいくらかは海水面が上昇しているとか、思っているような気がします。新聞でもテレビでも世間話でも、台風やハリケーンの話題で、温暖化のせいじゃないかと、付け加えられることが多々あります。氷山が崩れ落ちる映像の後に、南極やグリーンランドの氷が融けたら海水位がどうなる、とかいうナレーションが続く番組を、たいていの人が見たことがあるでしょう。そういうことが重なって、わたしも、自分できちんと根拠を吟味しないままいつの間にか、一方向の議論に影響されていました。
 気温も海水位も絶えず自然に変動しています。過去のどの時期を基準に、最近何年間と比較するかで、「増えた」とも「減ったと」も言えるし、「わからない」が正解の場合もあります。科学的な測定が普及する前の記録は、不正確だったり、報告されている地域が偏っていたりします。科学的であることにこだわらなければ、予断に都合のいい数字を提出することは可能でしょう。本人自身意識しない予断から、データ選択にバイアスがかかることもあります。そう考えれば、気候を扱う科学者に奥歯に物が挟まったような発言が多いことも納得できます。
 陸氷は別ですが、氷山(海氷)は融けても水位は上昇しません。クライトンによれば、南極の雪やグリーンランドの氷は、全体としては増加しているそうです。基準の問題がありますから、彼の説が正しいかどうか吟味することにはあまり意味がないでしょう。ただ、氷山が融ける映像や、ある年のある地域の気象災害や、グリーンランド・南極のある地点の氷雪量の減少を、そのまま温暖化に結びつけるのは、明らかに特定の予断に向けた大衆操作です。わたしも見事に操作されたわけです。
 クライトンIPCCは科学的な団体ではなく政治的な団体だと断定します。そしてシミュレーションは、原因と結果の理論にもとづく科学ではなく、推測に過ぎないとも。IPCCのことはよくわかりませんが、シミュレーションについてはそのとおりだと思います。比較的単純な系を扱う物理や化学の研究なら、ある仮説をモデル化してシュミレーションを走らせ、その結果を見て何を観察するかあるいは実験するかを決め、観察や実験で肯定されたら理論化する、というのは有効だと思います。しかし気候は複雑系です。何がどうして気候に影響するのか、あまり理論化されていません。いくつかのわかっていることや経験や過去のパターンをもとに、取捨選択した比較的少数の要素でモデルを作って、とりあえず可能な数値だけ入力します。モデルは、観察や実験ではなく、過去の事態との一致で検証されます。しかし過去を正しく言い当てても、未来予測が正しいとはいえません。地球の歴史は同じパターンの繰り返しではなく、常に新しいからです。
 第二部のわたしの温暖化論は、留保はしていますが、5点セットとIPCC予測に寄りかかり過ぎていました。それは、現在最も人気はあるが、仮説の一つであり、推測の一つであるという立場から、次回にもう一度イ鮓‘い靴覆します。