筋状の光 ムダの効用41-3


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 夜明けの空で雲の隙間から陽光が漏れ、筋状の光が射していました。オホーツク海沿いに車を走らせながら

撮ったので、角度と時刻によって空が明るくなったり暗くなったり。見えている山は斜里岳です。


         〔ムダの効用 41-3〕

 

まつろわぬ者たち()

 

〈変わる自然との関係―承前〉

 

関口明は横断道路建設を一時頓挫させた雄勝地方に関連して、こういう意味の主張をしています(前出77)。「公権力による開墾によって作られた聚落」の他に「自然発生の村」があり、その一村は例えば57戸程度。王朝側の文献ではそれらの村を例えば14個まとめて一つの地域名で呼んでいる、と。「自然発生の村」はもともとのエミシ部族の集落でしょう。8世紀には、各部族が戦争などで有力な部族長の下に連合することはあっても、共同で大きな開発事業を実施するほどに統合されていたとは思えません。とすればエミシの水田は、自然にできた湿潤地に、自然潅がいを利用して作られた小規模なもの、ということになります。

谷川が斜面の森を抜けたところにできる湿地や、季節ごとに浅い沼になったり乾いたりを繰り返す林間のくぼ地で水稲を栽培する。あるいは樹木の成長に合わせて場所を変える焼畑でヒエやアワを栽培する。または竪穴住居の周りや集落の近くに、クリなど実のなる樹を植える。そういう自然の施肥を利用する粗放栽培であれば、自然の循環はあまり損なわれません。広大な森林があれば、野生動物とも棲み分けられます。山間なら狩りで得られる毛皮や草地で育てた馬、海岸なら乾したサケや昆布と交換に、律令地域の人々から鉄、織物、土師器・須恵器なども手に入れられます。北海道以北と律令地域の交易仲介も、だいじな産業だったようです。そうして得られた物品、特に鉄器は狩りや農耕の効率を向上させたでしょう。縄文末期から続縄文前期の寒冷化が終わって、気候が温暖化していました。狩猟採集の他に安定してデンプン質を収穫できれば、数十軒、2,3百人の集落を作って定住することができます。こうして、関東以西ほど急激ではなく、ゆっくりしていたかもしれませんが、東北の中間地域や北部でも人口が増加しました。

洪水が起きれば、自然かんがいに頼っていた耕地が壊滅することもあると思います。しかし他の場所にその洪水で新たにできた肥沃な土地が見つかるかもしれません。再び穀物が稔るまでの間、狩猟採集の比重を増やして乗り切ることもできます。ところが、大きな労働力を投じて、広大な草地や森を刈り払い、遠くから潅がい水路を開いて造成した、恒久的な水田地帯ではそうはいきません。復旧は容易ではなく損害が深刻になるので、堤防を築いて備えなければなりません。開墾、水路工事、堤防、道路、城柵などの建設で過剰な伐採が行われると、森林の保水力が損なわれ洪水の規模が大きくなります。だからさらに堤防を積み増す必要があります。恒久的な人工耕地では河川による自然な施肥を期待できません。しだいに土壌養分が乏しくなり、土壌そのものも流失します。いずれ人為的な施肥や客土が必要になります。耕地は絶えず人が手入れしなければすぐに荒地に戻ります。森林・草地が減少すると、人里に現れる野生動物が害獣になります。

現代の都会人には、斜面を覆いつくす棚田や見渡す限り広がる緑の耕地を見て、牧歌的な田園を感じる人がいるかもしれません。集落の人々が力を合わせて潅がい水路維持し、水を分け合う棚田地帯や田園地帯を、自然と共存するエコロジカルなシステムとする論考を見ることもあります。しかし、大規模な食料生産はすべて、自然の循環と対立する要素があり、人為に人為を重ねてさらに自然の循環を損なう可能性を孕んでいます。たしかに自然経済よりずっと効率がよく、人口急増を可能にします。けれども、行き着くところまで行けば、いつか文明が成り立たなくなります。律令政府による東北開発は、自然に寄り添う縄文的な要素を残していたエミシの文化に、自然と対立する文化を外から強要するものでした。やがて巨大ダムや原発に行き着く文明の初期的な形です。(明日に続く)