白い大雪山 ムダの効用41-2
大雪連山にはやはり雪化粧が似合います。まだ薄化粧の山もありましたが、今日あたりはもうしっかり白くなっ
ていることでしょう。
〔ムダの効用 41―2〕
まつろわぬ者たち(8)―2
〈変わる自然との関係〉
表を覆うことになります。土壌は岩石の風化と生物死骸の堆積で、何百年何千年の歳
月をかけて作り上げられました。それが失われます。森林の保水力がなくなり、保持
する草木の根を失った斜面は崩れやすくなります。洪水・土砂災害対策として、いっ
そう多くの人工物が投入されます。悪循環の始まりです。生物多様性が損なわれ、棲
家と餌を奪われた獣が里に現れ害獣として駆除されます。自然の循環が断ち切られ、
生態系サービスが貧しくなり、人以外の生物の生存権が脅かされます。
に比べればずっと小規模です。しかし、木材として伐採される樹木、整地のため刈り
するのではないでしょうか。
羽城を結ぶルートでしょう。太平洋近傍から日本海付近まで列島を横断する道路で
とは比較にならない規模のはずです。それでも軍馬や糧食を運ぶ荷駄を通す目的で作
られたのですから、現代の林道ほどには整地されていたと思います。それ以前のエミ
シ地域では、いまの登山道のような小道が集落をつなぎ、それ以外の奥羽山地には、
狩猟採集に入山する杣道ほどの踏み跡しかなかったと思います。だとすれば、多賀―
出羽横断道路は、大量の草木を切り払って、低地植物が山間に広がる通路を開いた最
初の大規模開発です。その周辺からはきっと、人のにおいを嫌って鳥獣も姿を消しま
す。仮想したダムで里人が山菜採りや猟の場所を失ったように、エミシはだいじなく
らしの糧であった狩猟採集に打撃を受けます。
城柵や横断道の建設にもましてエミシを苦しめたのは、律令政府が城柵を拠点に、
稲作中心の郡を拡大しようとしたことだったと思います。これまでの章で何度か述べ
たように、7世紀から8世紀にかけて青森県北部まで再び稲作が行われるようになっ
ていました。しかしエミシが自ら長い潅がい水路を建設したり、大規模な開拓をして
広い水田を造成したりするようなことはなかったと思います。帰化人系集団が伝えた
土木技術がこの地域に広がっていたかどうか。そして何より、大規模土木工事を実施
できる広域社会集団が成立していたとは思えないのです。(この項明日に続く)