岬の朝 ムダの効用 41-1

 サイタマンさん、そうですね。単調な一色だとおもしろみに欠けますから。
 
 タムラ、そちらの紅葉は11月なのかな。
 
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 能取岬の夜明けです。刻々と色調が変わるので、退屈している暇はありません。まだしばらくはススキに目を
 
惹かれる季節が続きます。
 
 
          〔ムダの効用 41―1〕
 
 まつろわぬ者たち(8)―1
 
 
 こんな状況を想像してみます。大河になって海に注ぐ川があり、流れに沿って源流
 
くまで遡上すると、出湯湧く山里に出ます。農閑期には近隣の村から米と味噌を携
 
えた湯治客が、新緑と紅葉の季節や夏休みシーズンには町から家族連れが訪れる小さ
 
な村です。見晴らしいのいい高台に自炊棟と食事付き宿泊棟をもつ数軒の温泉宿が散
 
在し、バス停の周りにみやげ物屋、パチンコ屋、飲み屋などが集まるちょっとした盛
 
り場があります。里人は山の斜面に畑を作り、豆類、こんにゃく、野菜を栽培し、庭
 
で鶏を飼っています。採りたての野菜やタマゴ、それに鶏肉、豆腐、刺身こんにゃ
 
く、漬物などを、温泉宿に買ってもらったり、朝市で直売したり。山菜採りや猟も里
 
人の収入源です。山菜やキノコ、あるいは鹿肉や冬のぼたん鍋を楽しみに来る常連客
 
もいます。都会のはなやかさはないけれど、昔からそれなりに安定した小経済圏が存
 
続してきた土地柄です。
 
 ここに巨大な多目的ダムを作る計画が持ち上がります。国や県の役人と電力会社の
 
担当者が里人にこう説きます。ここにダムができれば、台風や大雨が来ても中流の広
 
大な農地が水浸しになる恐れはなくなります。水道の水源にもなるので、下流にある
 
都会の人は、夏も渇水の心配から解放されます。大きな水力発電所が併設され、広域
 
的な産業振興に役立ちます。皆さんの家や畑は湖底に沈みますが、代替の住宅や土地
 
が用意され、十分な補償金も支払われます。これまでの仕事を続けられなくなった方
 
には、工事関連や完成した発電所などで、優先的に事業機会・雇用が提供されます。
 
村にはダムや発電所の固定資産税、電源立地に対する交付金、中・下流自治体からの
 
分担金などが入るので、役場・体育館・村民会館が新築され、さらに住民税も軽減さ
 
れるでしょう。皆さんは中流下流の人々から感謝されるだけでなく、いままでより
 
豊かになります、と。
 
 巨大ダム建設は近代的な開発の一つです。ダムだけでなく、高層ビル・新幹線・高
 
速道路・原発などの建設、海岸や湿地の埋め立て、広大な工場団地・宅地・農地の造
 
成、地下資源の掘削や輸送など、大きな開発事業によって、近代経済は急速に成長し
 
ました。しかし開発は近代になって始まったことではありません。規模はともかく、
 
地球上のすべての地域で、食料生産が進歩し、初めて国家が建てられた時代から繰り
 
返されてきました。
 
 日本列島では奈良時代(710794)から平安時代初期にかけて、律令政府の推進する
 
東北開発の波頭がエミシの生活圏を激しく洗います。律令政府は、国衙・郡(こく
 
が・ぐんが=国司・郡司の行政庁)や城柵の建築、それに道路の造成などを橋頭堡とし
 
て、北へ北へと郡を建て進めようとしました。その郡はかつて阿部比羅夫などがエミ
 
シの部族長に郡司の地位を与えた形式だけのものとはちがい、城柵を拠点に班田を割
 
り当て、各種の税と人的奉仕(力役・軍役)を徴収する、実質ある地方行政単位です。東
 
北開発の最終目的は、エミシ地域をそのような郡で埋め尽くすことです。その開発は
 
現代のダム建設と共通なところがあります。
 
 一つは人と自然の関係が質的に変化することです。仮想の出湯の里では、建物や橋
 
など構造物のほとんどが周囲に豊富にある木材で作られています。野菜、豆類、蕎麦
 
などが栽培されている狭い耕地は野生の草木に囲まれていて、耕作で失われる土壌は
 
枯葉枯草などの腐葉土を施肥することで補うことができます。里を囲む広大な森林、
 
谷、草地で得られる木材、薪、炭、山菜、獣肉、魚などは、現金収入源の一つです。
 
温泉や景観も大切な資源です。それらの収入は米や工業製品など、地域で自給できな
 
い生活用品の購入に使われます。里人のくらしは、無機的自然物と生物(土壌細菌から
 
大型動植物に至る)の循環に寄り添って営まれてきました。そこにはいくらか縄文的く
 
らしの面影が残っています。(明日に続く)