野鳥にぎやか春の森

 タムラ、確か遺跡の森にはいっしょに行きましたよね。写真の窪みは続縄文期の住居跡かな。復元住居は続
 
縄文期と擦文期のものが数軒みたい。縄文期のがなくて残念だと思っています。
 
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 木々の間で野鳥が活発にさえずる季節です。町内のせせらぎ公園もにぎやかでした。この日姿を捉えることが
 
できたのは、シジュウカラハシブトガラアカゲラの3種類だけでしたが、鳴声からするともっとたくさんいます
 
ね。
 
 
             〔ムダの効用〕
 
39 まつろわぬ者たち()
 
 『「飢餓」と「飽食」』(荏開津典生 講談社2629)に、“Atlas of World Popul
 
ation History(Penguin Books 1978)の計算による過去の世界人口が紹介されていま
 
す。BC10000年が400万人、BC 5000年が500万人、BC 4000年が700万人、BC 3000
 
1400万人、BC 2000年が2700万人、BC 1000年が5000万人、BC 500年が1億人、AD1
 
年が17000万人、500年が19000万人、700年が2億人1000万人、800年が22000
 
人です。BC10000年からBC 5000年は狩猟採集の時代と考えていいと思います。世界
 
人口はこの5000年間でわずか100万人増加しただけです。ところが、それに続く紀元
 
1年までの5000年間では、34倍に膨れ上がっています。自然経済を続けていた集団
 
の人口増加は、前の5000年間とあまり変わらないでしょう。この人口爆発は食料生
 
産の発達にともなう古代文明圏の拡大によるものと考えられます。
 
 鬼頭宏の『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫2000年 表1)に、北海道と
 
沖縄を除く日本列島について、縄文時代以降の人口変化を推定した数字がありま
 
す。BC6100年が2100人、BC2300年が261300人、BC1300年が161300人、BC900
 
年が75800人、AD200年が594900人、725年が4512200人、800年が5506200
 
です。BC2300年は縄文文化の最盛期(三内丸山遺跡の時代)。縄文早期のBC6100年か
 
らの3800年間で、人口が13倍に増えています。世界人口は自然経済期の5000年の増
 
加率が1.25倍であったことを考えると、盛期の縄文文化は平均的な自然経済の社会で
 
は飛び抜けた繁栄を達成したと言えます。しかし盛期を過ぎると人口は減少に転
 
じ、末期のBC900年には盛期の29%です。それでもBC6100年の約3.8倍ですが。
 
 自然経済では、ふつうは、獲得した資源が自分と家族のくらしで消費され、余剰
 
物の蓄積はできないでしょう。自然環境が好転すると、得られる食料が豊富になっ
 
て栄養が改善され、寒熱などの環境ストレスが緩和されます。その結果、流産・死
 
産・乳幼児死亡率の減少などで人口が増えます。しかし環境が悪化すれば人口が減
 
るので、長期的な増加率は小さいままです。利器や容器の製作、食品加工、衣類の
 
作成や家屋の建築など、技術が進歩すれば環境を利用する効率が向上します。列島
 
東部や北海道では縄文盛期の温暖化で環境が豊かになり、技術の発達とあいまって
 
人口が増加したのだと思います。定住が進み集落の住民数は最大で数百人規模にな
 
り、集落間の交易が発展し、三内丸山のような大きな構造物も作られました。
 
 しかし気候が寒冷化に転じると、さらに発達した技術も人口減を緩やかにする効
 
果しかもたなかったのでしょう。それでも東北・北海道の自然は列島西部よりは豊
 
かだったようです。衰退の程度が大きい地方ではきっと、潅がい稲作などの食料生
 
産技術の採用により貪欲になりました。発達した技術をもつ食料生産では、自然経
 
済の10倍とか100倍とかの生産効率(37章参照)が得られ、人口が爆発的に増加
 
します。(明日に続く)