そらさん、あなたの疑問に重なるかもしれないことで、ここのところわたしが考えてきたことを写真の後で少し書
きます。まだ雑ですけれど。
いまの社会で指導的地位にあるエリートの多くがもつ価値基準は、庶民の常識とはちがうのではないかと思い
ます。大義としては上司を立て、組織を守り、民であれば会社の儲けが、公であれば所属組織の拡大が目標。
個としては地位の上昇、そのためにも役立つ財の蓄積、他人から仰ぎ見られることが目標。そうなるのは、幼い
頃からひたすら知識の暗記に努め、出題者の意図を正しく読んでそれにかなう回答を見つける訓練にあけくれ、
いい「成績」をつけてもらって、自分が他人より「優秀」だと思い込んだから?
近な人の安全は気にかかりながらも、自分の仕事の意味が明確だからついのめりこんでしまう。指揮する地位
にある人は、そういう直接的な目的以外にも、情報開示の影響、組織が受けるダメージ、自分が問われる可能性
のある責任など、他の要素も考えてしまう。平時なら広く全体を見渡して決断する指導者と、与えられた仕事を
忠実にこなす現場の人間の分業として、これまで大規模な事業を実施する上で有効性もあった組織原理だと思
います。
しかし緊急時には組織や自分の地位をだいじにする意識的・無意識的な思考は雑念になります。それは平時
にもあった、現場や中間幹部の創意をムダにしがちな従来の組織の欠陥だったと思います。緊急時にはその欠
陥が一挙に現れてしまいます。ふつうの個人の身近な人を大切にする感覚は、組織を超えた人社会一般の利
益にも直接接続できるけれど、それをこれまでの階層的序列秩序に代わる求心性のある形にまとめあげる組織
原理がなかった。いま情報化の進展によって、ようやくその可能性がほのみえている、とわたしは考えています。