波走る ムダの効用 32
サイタマンさん、地平線に昇る陽沈む陽をご覧になったことはありますか。わたしは一度見たいと思う
ど。
そらさん、埼玉でもお正月の空が晴れていれば、きれいな雲が見られるかも。そちらにいたころのわ
たしは、とくに気にしませんでした。気持ちが乾いていたのでしょうね。
能取岬の海底はだいぶ先まで浅く、岩でてきているようで、白い波が追っかけっこをするように走る
景色がよく見られます。
〔ムダの効用 32〕
北海道縄文人はどこに消えたのか(前)
及することが多くなります。ダイヤモンドの著書は、考古学などの歴史系諸学や人類学はもちろん、
言語学、自然科学にも及ぶ、さまざまな知識を総合して書かれています。その知識の量と広さは、
一個の脳に蓄えられたものとしては、実に驚異的です。取り上げられている事実の信頼度について
は、わたしが他の情報源から得ていた知識と重なる部分で、異議を挟みたい記述はほとんどありま
せんでした。それで、これらの本で初めて得た情報も信頼できるだろうと判断しています。
モリオリ族を襲撃しました。数日のうちに数百人を殺してその多くを食べ、生残った者は奴隷にしま
したが、奴隷にされた人々も数年の間にほとんど殺されています。モリオリ族は分散した小さなグ
ループを作って狩猟採集でくらしていました。戦いになれておらず、大きな集団を組織的に統率する
指導者もいません。技術や武器も劣っています。マオリ族の来島を知って和平交渉を考えていたの
民で、厳しい戦闘の経験があり技術も武器もすぐれています。(④77-79頁)
時代が古いのでこれほど詳細ではありませんが、④⑤にはほかにも、農牧民と狩猟採集民、あ
るいは武器、技術、社会組織が優位な集団とそれらがより原始的な集団が、接触したり戦ったりし
た実例が豊富に記載されています。たとえ人数では圧倒的に不利であっても、たいてい前者が後
者を圧倒しています。その結果住民がそっくり入れ替わり、先住民がいたことさえほとんど忘れ去ら
れている地域も少なくないようです。侵入者と現地人が混血し、新しい文化が生まれる場合もあり
ます。現地住民が外来勢力の武器、技術、社会組織に触発されて、自己変革に努め、自立を維持
または再獲得することもあります。件数は少ないのですが、より原始的な現地住民が結局は生き残
そうです。
の時間がかかっています。その間モリオリ族の消滅に似たケースを含め、異なる文化をもつ集団の
接触、戦いと移住や消滅、人や文化の相互浸透や融合などが、各地で数多く繰り返されたにちが
いありません。北海道先住民を中心に、その一端を概観してみます。
かつて日本人の起源が比較的単純に考えられていた時期があります。例えば、東南アジアある
いは中国南部から南西諸島沿いに九州に来た人々が、北上しながら広がって縄文人になった。彼
日本人と混血して日本人が成立した、というような。1967年に沖縄港川遺跡で発掘された、18.0
00年前ごろとされる人骨が、縄文人南アジア由来説の根拠とされたこともありました。
今ではほとんどの専門家がそれほど単純には考えていません。港川人にしても、アジア人よりオ
ありませんが、縄文人の由来は複数の経路があるという点では、ほとんどの研究者が合意するよう
です。
溝口優司は最新の知見をおおむねこんなふうにまとめています(同前 「日本人形成論への誘
い」)。アフリカで進化したホモ・サピエンスの一部が5~6万年前までに東南アジアに住み着き、そ
の一部が東進してオーストラリアなどで原住民の祖先になり、別な一部がアジア大陸をさらに北
進、シベリア、北東アジア、日本列島、南西諸島などに拡散した。シベリアに向かった人々は寒冷
と。東南アジアから拡散した後、アボリジニ、オーストロネシア語族、北東アジア人、アムール川以
北の北方人などがさまざまな地域的特長を獲得し、その一部が複数の経路で日本列島に到着し
た、ということのようです。したがって縄文人の始まりは均質な一つの民族集団というより、地域性を
もつさまざまな集団と考えるべきでしょう。
性は半分ほど。「彼 らは比較的長期間にわたって周辺集団から孤立していた可能性もある。」(370
で、その後続縄文期までは、あまり混血しなかったのではないでしょうか。
0年以上にわたって北海道の大地を縦横にかけめぐっていた縄文人は、どこへ行ったのでしょう。そ