双岳台で ムダの効用 29

 タムラ、虫食い葉の先が尖っているとヒロハツリバナと確信できるのですが。
 
 
 hellopapaさん、ヤブランがきれいですね。北海道にはヤブランはなく、道南にヒメヤブランが見られるようで
 
す。花が付くのは一箇所か二箇所で、あなたの写真のように上から下までびっしりとはいかないみたい。
 
 
 まりさん、石造りのお城がある風景、いいなー。イセエビ、わたしも食べたーい。暖かい海の生き物なのか、こ
 
ちらではめったに店に出ないし、お正月などに売られているのは高くて。昔伊豆に行ったときは安かったけど。
 
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 弟子屈に抜ける山間の阿寒横断道路には、二つのパーキングがあります。二つの湖・パンケトウとペンケトウ
 
を望む双湖台と、雄阿寒・雌阿寒が見える双岳台です。双湖台からの風景は何度か紹介しましたので、今日は
 
双岳台のほうを。
 
 最初の写真で正面が雄阿寒岳です。2枚目で左後方に小さく見えている部分を拡大しました。尖っているのが
 
阿寒富士で、なだらかな山頂の方が雌阿寒岳です。次の2枚はそれぞれのクローズアップ。活火山ですから、
 
雌阿寒頂上を漂う雲には噴煙が混じっていると思います。
 
 残りの写真は双岳台周辺の林です。白い木肌が緑の笹や色づきはじめた木の葉を引き立たせています。
 
 
                        〔ムダの効用〕
 
29 あなたが努力すれば社会が悪くなる()
 
 何かで読んだのですが、子どもに私立中を受験させようとしていた親が、こんな意味
 
のことを言ったそうです:自分たちは子どもに、たいした財産も、人並み以上の容姿や
 
身体能力も、特別な頭脳や芸術的才能も遺せない。平凡な親としては、せめてちゃんと
 
した学校に入れ、社会にいいスタートを切らせてやりたい、と。次のようなわたしの体
 
験も、この親の気持ちと重なるところがありそうです。何年も前のこと、ある生協の政
 
治団体に講師として呼ばれ、学校教育の完全無償化が必要だと話したことがあります。
 
その後で主催者から、「会員には教育無償化に反対する人が多い」と耳打ちされまし
 
た。
 
 生協の店に並べられた商品の種類や価格を見て思うのですが、品質がよくて安全であ
 
れば少しぐらい高くてもかまわないと思う女性が、きっと生協活動を支えている中核で
 
す。五段階区分で所得最下層に属する人は、生協より安売りスーパーに足を運ぶ回数が
 
多いでしょう。現に格差が存在している現代社会では、特別な才能や財産・地位がなけ
 
れば、下層に転落しないための競争で唯一有効なパスポートは身につけた教育だと、一
 
般に知られるようになりました。教育費無償化は、貧しいけれど才能がある人の高度教
 
育への参加を促進します。子どもを塾に通わせ私立の学費を払った人が警戒するのは当
 
然です。高度教育を受ける人が増えれば、わが子がようやく手に入れた教育の価値が下
 
落することになりますから。生協の会員には、子どもに家計を助けてもらうしかなく、
 
専門教育に進みたいという願いをかなえてやれずに口惜しい思いをした親は、あまり多
 
くないのかもしれません。
 
 格差と競争の世に送り出すことになるのだから、わが子が競り勝つように手を添えて
 
おこうというのは、まっとうな考え方だと思います。わたしも、息子を進学競争に駆り
 
立てることはしませんでしたが、彼が自ら望む学びには手を貸そうとしたとき、貧困で
 
苦しむようになってもらいたくないという気持ちもありました。日本では千数百年以上
 
格差と競争の社会が続いています。わたしがこの世に生まれていま在るのも、代々の祖
 
先がわが子に窮乏死を避けさせようと努力したから。そう考える一方で、このままいく
 
と文明の存続が危うくなる段階に来ている、という感覚も強くなっています。困窮者だ
 
けでなく比較的高収入の人でも幸福感を得にくい。これは文明が危機にさしかかってい
 
る徴候ではないでしょうか。
 
 これまで多くの経済学者が、個人が豊かになろうと努力することで社会全体が豊かに
 
なると主張しました。個人にとっていいことは全体にとってもいいことだ、と。しかし
 
前回紹介した『不平等が健康を損なう』には、個人の利益と集団の利益が相反する例が
 
いくつも挙げられています。その一つが教育です。より高い教育を受けた人はそれだけ
 
仕事の生産性が高くなるから、よりよい給与と地位を与えられるべきだと思われていま
 
す。だから親は無理をしてまで子の教育に投資します。そういう親が増えて大卒者の数
 
が多くなりました。しかし生産性の高い仕事は限られています。溢れた人材は、接客、
 
組立作業、データ整理など、大学で得た知識・技能を必要としない単純作業に甘んじる
 
ことになります。社会が彼の教育に投資した資源はムダになります。そして単純な仕事
 
は、低賃金でもくらせる世界各国の労働者と競合することになりますから、雇用は不安
 
定で、収入は低くなります。親にとっても教育投資は、高リターンを得られる割合が小
 
さい、リスキーなものになってしまいました。そこで人々はさらに有利なリターンを求
 
めて、大きく投資することになります。
 
 幼稚園や小学校から有名大学につながる階段に足をかけようとすれば、幼いうちから
 
子どもの遊び時間や地域の子どもとの付き合いを奪い、競争心を植えつけなくてはなり
 
ません。そして親自身も増える出費に備えて、より長時間働いたり不本意な仕事を我慢
 
したりして、ストレスを溜めることにも。大学と専門学校のダブルスクール、卒業後に
 
ロースクールアメリカのビジネススクールを目指せば、さらに経費がかかり、競争が
 
厳しくなります。少数の成功者は、強いストレスに耐えて努力し続けたのだから、高い
 
地位と報酬が当然だと思うでしょう。わたしは、有利な条件で天下りした官僚OBの述
 
懐を、たまたま耳にしたことがあります。彼は言いました。自分は努力して勉強したか
 
ら、いま満員電車でもまれる生活をしなくてすんでいる、と。
 
 一方で、文化的あるいは金銭的に貧しい環境で育ち、専門教育からはじかれた人や、
 
努力に見合う結果が得られていないと思う人々の心には、社会に対する恨みや冷ややか
 
な諦観が住み着きやすくなります。高い収入や地位は確保できたけれど、親和的な人間
 
関係の薄い環境で育ち、勝ち負けが生きがいになった人にも、安らぎの時間は乏しいか
 
もしれません。子が窮乏する不幸を避けようと親たちが努力する結果、社会全体の幸福
 
感が減少するのが現代。個人が教育を受け自分の能力を拡大しようと努力するのはいい
 
ことです。しかしその結果、競争が激しくなり、収入と地位の格差が拡大し、鬱積する
 
不満やストレスで社会が不安定になります。
 
  個人利益と集団利益の対立は、いまは教育だけでなく社会の中心に深く及んでいま
 
 す。次回はそれがテーマです。(続く)