太陽の丘 ムダの効用 28
まりさん、730万年前というと、ヒトの祖先はまだチンパンジーと分れていなかったのでしょうね。そのころ北海
道は大陸とつながっていたのかなー。
そらさん、道南は別ですが、北海道の北東部にできた街は遠軽と似て、丘陵や山に囲まれた平地に発達したと
ころが多いのではないかと思います。郊外に出れば人家のまばらな田園や森林が広がっていますから、本州で
見慣れた「日本」とはちょっとちがう感じがしますね。今日の写真はその郊外の一つです。
この丘陵地帯が「えんがる公園太陽の丘」と呼ばれているようです。コスモス園も狭くはないけれど、公園全体
から見ればほんの片隅です。写真は瞰望岩の近くで撮りましたが、丘の上にある牧場からも大きな俯瞰図が展
望できそうです。この日は口蹄疫に対する警戒から立ち入り禁止になっていましたけれど。
〔ムダの効用〕
28 幸福という基準
18世紀のイギリスで活躍したジェレミ・ベンサムは、「最大多数の最大幸福」を個人の行動や政
治の基準におく功利主義を唱えました。彼の弟子で古典経済学の代表的人物であるジョン・スチュア
ート・ミルも、この点では師の主張に同意し、当時イギリスで問題になっていた貧困に、政府の所得
再分配政策による対応を期待しています。しかし20世紀のほとんどの経済学者たちは、数学的モデ
ル化に適さない幸福感を、経済学に組み込むことはしませんでした。重視された指標は個人所得やG
がっていったのは、彼らの影響が大きかったと思います。ところが90年代以降、高収入になっても
不安や不幸を感じる人が増え、GDPが大きくなっても社会問題が増加する傾向に疑問を感じ、再び
幸福度に注目する研究者や政治家の声が少しずつ大きくなってきています。
年収やGDPは数字で比較できますが、幸福感は主として本人の自己報告に頼ることになります。
ある瞬間には幸せだと感じても、次の瞬間には不幸だと思うかもしれない。そんなあやふやなものは
学問になじまず、政策の基準としては使えないというのが、従来の考え方でした。しかし大石繁広は
『幸せを科学することは可能か?』(「科学」2010年3月号)で、今では幸福感に一定程度の信頼性や
妥当性があるとわかっていると論じています。それによると:幸せや人生の満足度の自己報告は、一
定期間にわたって十分に安定している、知人や家族の報告とも合致する、ある瞬間に測定された気分
は平均値や毎日の記録と合致するなどが実証された。さらに脳波、fMRI、ストレスホルモン(コ
ルチゾール)などの測定からもアプローチでき、健康や寿命との関連まで示されるようになった、
と。(263頁)
ついで大石さんは幸福感とお金、仕事、健康、対人関係の関係についての調査結果に言及します。
関がなくなるという報告がほとんど。仕事では、年収の上昇よりステイタスの上昇の方が幸福感に影
響するという調査結果がある。医学的な意味で病気があるかどうかは幸福感に影響していない。結婚
生活の満足度やいざというときに頼れる人がいるかなど、対人関係と幸福感の相関度は高い。つま
り、対人関係が幸福度の鍵を握っているという説が、哲学、生物学、心理学などの多様な分野で受け
入れられるようになった、と。(264-266頁)この結論部分は、前回の冒頭で紹介した三つの調査と
も合致します。入院患者が信頼できる病院、いざというときに安心して頼れる医療が充実している地
域、人と人のつながりが確認できる村では、安らぎの気持ちが強くなります。
の幸福感と健康をいかに損なっているかを論証しています。29頁に掲げられたグラフから次のことが
わかります:1950年代末から90年代初頭まで、国民平均所得は2倍以上に増加しているのに、
幸福感はほとんど変化しないかむしろ減少している(非常に幸福と答えた人は30%前後)こと。そ
して次の頁で、98年の調査によると、年間所得が平均の3倍から6倍ある層で42%の人が自分の
所得に満足しておらず、4倍以上の人の3分の2が満足するには今より50から100%増加する必
要があると思っていた、という意味のことが記されています。
著者はその原因をこう説明します。60年代までは中間層や貧困層で所得増加が大きかったのに、
70年代以降は上位層が彼らよりずっと大きな割合で豊かになったから、すなわち格差が拡大したか
らだ。例えば60年代に39対1であった企業CEO(最高経営責任者)と生産労働者の賃金格差
が、97年には254対1に拡大している(5頁)。住民の幸福度の地域差を調べたら、裕福な人が少
ない地域ほど幸福度が高かった、と。(31頁)。ところで上位層にしても、みんなが満足しているわ
りずっと幸福ではないと認めているというのです。その点は宝くじの高額当選者も同じです。(29
れによる競争の激化は、さまざまな形(次章のテーマ)で親和的な人間関係を掘りくずしますから。
最低限の衣食住が欠乏する絶対的貧困状態の住民が多数を占める社会では、手に入るモノやお金の
増加が幸福度の向上と相関する傾向が見られます。その水準を脱したあとは、収入の絶対額ではな
く、他人との比較が幸福感にかかわってきます。先進国では一般に、所得が国民の中央値の半分未満
であれば、相対的貧困者とみなされます。しかし所得以外に次のような要素でも、自分が劣ると思う
と不幸を感じやすいでしょう。職業の社会的地位、職場の位階制における位置、上役や社会による業
績評価、人気やモテ具合、容姿、知識・技能やセンスの洗練度に対する他人の敬意、人付き合いにつ
いての仲間うちの評価などなどです。現代社会では多かれ少なかれだれでも、職場、学校、地域社
会、仲間うちで周りの人と比較して、得意になったり意気消沈したりすることがあるのではないでし
ょうか。
誇りや劣等感の直接の要因はさまざまですが、もっとも基本的なのは個人収入(資産を含む)と、
社会的資源(公共財、情報・文化、人材・人的ネットワーク)がもたらす効用へのアクセス権だと思いま
す。豊かだったり効用を有利に利用できる地位にいたりすれば、能力、人格、容姿などを向上させた
り、その欠損を補ったりするチャンスも多くなります。わたしはどれだけ社会資源の効用に与ること
のできるかを、地位という言葉で括ることにします。自分の資質を生かして努力すればゼロからでも
財や地位を築くことができるというのは、おとぎ話(アメリカン・ドリーム)です。幼いときから衣
食住が欠乏し、社会資源から隔てられていたら、努力する能力は育たないし、遺伝的資質も開花しま
せん。何より、ひどい欠乏のなかにいて社会的支援も受けられない子どもは、生き延びることができ
ません。本気でおとぎ話を説くのは、自分が受けた財と地位の恩恵に無自覚な人です。(続く)