キツネの春 ムダの効用 15
orion*.:‘さん、まりさんはのアップは日本時間で表示されているのかな。時差は12時間ほどでしょ
うか。
まりさん、闇にライトアップされた端正な塔といい、両性の姿を兼ね備えた像といい、興味深いものが
ありますね。
もつれた足跡は二匹が戯れた場所みたい。50メートルくらいおいて数箇所ありました。初めは一匹ず
つ現れましたが、後でツーショットを撮らせてくれました。なぜかピントがボケています。レンズが曇っ
ていたのかなー。
〔ムダの効用〕
15 先住民の受難
『リトル・トリー』を素材とするのは今回が最後です。
祖父は文字を解しませんので、リトル・トリーは祖母から読み書きを習っていました。彼をかわいが
り、計算を教えてくれる人もいました。そして何より、祖父母から自然物に対する豊かな知識と、事物を
ありのままに深く理解して尊重する精神を学んでいます。しかし、町のお上品な人々や役人はそれが見え
ない、と言うより見るつもりがありません。高貴な精神世界をもつ祖父母を、彼らは野蛮なインディアン
としか思わないのです。教育のない年寄り二人には子どもを育てる資格がないと判断され、リトル・トリ
ーは孤児院に送られました。
他の多くのインディアン同様、かつてチェロキー族も連邦政府軍の武力で、自分たちの土地から追われ
た歴史があります。荒れ果てた遠い居留地への、1300キロにおよぶ徒歩での強制移住の途中で、1万
3000人のうち3分の1以上が、寒さ、食糧不足、病気、事故で死亡したとされています。苛酷な行進
にはインディアン減らしの意図もあったと、訳者は註に書いています(84頁)。ばらばらに山谷に隠れて強
制移住を逃れた少数の者のうち、幸運な出会いで結ばれた一組がリトル・トリーの祖父母でした。(74-8
4頁)
リトル・トリーを預かった教会孤児院の院長は、少年はどうせ救われない私生児なのだと蔑みます。少
年は、父母が死亡したため祖父母のところに来ましたが、両親はチェロキーの方式で正式に認められた夫
婦です。院長は、結婚は教会でという、彼らだけの習慣を絶対だと思い込んで疑いません。
孤児院から通う小学校の教室で、女教師が2頭の鹿が写った写真を示します。何をしているところかと
質問され、リトル・トリーは「鹿はつるんでいるんです」と答えました。すると彼女は、「なんてけがら
わしい・・・・このチビの私生児めが!」と激怒します。キリスト教には、性行為を口にするのも忌まわしい
穢(けが)れとしてきた長い伝統があります。院長室に連れて行かれた少年は、鞭が折れるまで激しく鞭打
たれます。事実を事実として語ることが罰される、彼は納得できません。少年は祖母から教えられた、
「からだの心(ボディー・マインド)を眠らせ、からだの外へ霊の心(スピリット・マインド)とともに抜け
出して苦痛をながめる」やり方(今の精神医学では、意図的に離人症になる、と説明できる)で、足を踏ん
張って耐えました。(289、297-301頁)
やがて彼は、迎えに来た祖父とともに懐かしい山に帰ることになります。院長が、リトル・トリーをか
わいがっていた老チェロキーのウィロー・ジョーンに2日間つけまわされ、気味悪さに耐え切れなくなっ
て、祖父に引き取らせることにしたからです。それは知りませんでしたが、リトル・トリーは自分が帰れ
ると知っていました。
院長先生にむちでぶたれてから三日目の夜、天狼星は厚い雲に隠れて見えなかった。強い風が電信柱
を倒してしまったので、孤児院はまっくらやみに閉ざされた。ぼくの訴える声が祖父母やウィロー・ジ
ョーンにとどいたのだとわかった。(302頁)
リトル・トリーや彼の祖先と同じ苦しみは多くの国で先住民が経験しています。西欧の近代化が始まっ
てから20世紀半ばまでの何百年かを考えれば、北米だけでなく、アフリカ大陸、オーストラリア大陸、
中南米、ロシア北東地域など、近代帝国主義諸国の侵略と殖民の対象となった世界のあらゆる場所で、先
住民の大規模な受難がありました。松前藩の場所請負制から始まって明治政府によって強化された、アイ
ヌに対する収奪・迫害も、この時期の出来事です。
もっとも、先住民迫害はなにも近代国家の専売特許ではありません。イギリスは中世国家への歩みを、
アングロ・サクソン・ユートによるブリテン島先住民の大虐殺と奴隷化から始めています。日本も古代王
朝確立・拡大の過程で、どれだけの伝統的地域文化が迫害・破壊されたのでしょうか。さらに古く、メソ
ポタミア、エジプト、ギリシャ、ローマ、中国などで古代国家が成立・拡大したときにも、その地域や周
辺で似たような事態が進行したはずです。古代と近代の中間には、モンゴルの世界帝国がありました。国
家の拡大とは、先住民が人と動植物で共有していた土地を奪い、分配・私有化し、先住民を殺戮し、隷属
させることでした。国家とともに、土地の私有と住民に対する権力支配が始まりました。
およそ階層化が進んで国家が成立したあらゆる場所で、同じことが起きたのだと思います。古代国家、
中世国家、近代国家の別はありません。優勢な国家の支配層と支配層につながる人々は、支配地の先住民
文化を軽蔑します。自分たちの優越を受け容れて従属に甘んじる者は奴隷化し、隷属しない者への迫害を
当然視してきました。ここ何十年かでようやく、確かな変化の胎動が感じられるようになっています。
(続く)
うか。
まりさん、闇にライトアップされた端正な塔といい、両性の姿を兼ね備えた像といい、興味深いものが
ありますね。
もつれた足跡は二匹が戯れた場所みたい。50メートルくらいおいて数箇所ありました。初めは一匹ず
つ現れましたが、後でツーショットを撮らせてくれました。なぜかピントがボケています。レンズが曇っ
ていたのかなー。
〔ムダの効用〕
15 先住民の受難
『リトル・トリー』を素材とするのは今回が最後です。
祖父は文字を解しませんので、リトル・トリーは祖母から読み書きを習っていました。彼をかわいが
り、計算を教えてくれる人もいました。そして何より、祖父母から自然物に対する豊かな知識と、事物を
ありのままに深く理解して尊重する精神を学んでいます。しかし、町のお上品な人々や役人はそれが見え
ない、と言うより見るつもりがありません。高貴な精神世界をもつ祖父母を、彼らは野蛮なインディアン
としか思わないのです。教育のない年寄り二人には子どもを育てる資格がないと判断され、リトル・トリ
ーは孤児院に送られました。
他の多くのインディアン同様、かつてチェロキー族も連邦政府軍の武力で、自分たちの土地から追われ
た歴史があります。荒れ果てた遠い居留地への、1300キロにおよぶ徒歩での強制移住の途中で、1万
3000人のうち3分の1以上が、寒さ、食糧不足、病気、事故で死亡したとされています。苛酷な行進
にはインディアン減らしの意図もあったと、訳者は註に書いています(84頁)。ばらばらに山谷に隠れて強
制移住を逃れた少数の者のうち、幸運な出会いで結ばれた一組がリトル・トリーの祖父母でした。(74-8
4頁)
リトル・トリーを預かった教会孤児院の院長は、少年はどうせ救われない私生児なのだと蔑みます。少
年は、父母が死亡したため祖父母のところに来ましたが、両親はチェロキーの方式で正式に認められた夫
婦です。院長は、結婚は教会でという、彼らだけの習慣を絶対だと思い込んで疑いません。
孤児院から通う小学校の教室で、女教師が2頭の鹿が写った写真を示します。何をしているところかと
質問され、リトル・トリーは「鹿はつるんでいるんです」と答えました。すると彼女は、「なんてけがら
わしい・・・・このチビの私生児めが!」と激怒します。キリスト教には、性行為を口にするのも忌まわしい
穢(けが)れとしてきた長い伝統があります。院長室に連れて行かれた少年は、鞭が折れるまで激しく鞭打
たれます。事実を事実として語ることが罰される、彼は納得できません。少年は祖母から教えられた、
「からだの心(ボディー・マインド)を眠らせ、からだの外へ霊の心(スピリット・マインド)とともに抜け
出して苦痛をながめる」やり方(今の精神医学では、意図的に離人症になる、と説明できる)で、足を踏ん
張って耐えました。(289、297-301頁)
やがて彼は、迎えに来た祖父とともに懐かしい山に帰ることになります。院長が、リトル・トリーをか
わいがっていた老チェロキーのウィロー・ジョーンに2日間つけまわされ、気味悪さに耐え切れなくなっ
て、祖父に引き取らせることにしたからです。それは知りませんでしたが、リトル・トリーは自分が帰れ
ると知っていました。
院長先生にむちでぶたれてから三日目の夜、天狼星は厚い雲に隠れて見えなかった。強い風が電信柱
を倒してしまったので、孤児院はまっくらやみに閉ざされた。ぼくの訴える声が祖父母やウィロー・ジ
ョーンにとどいたのだとわかった。(302頁)
リトル・トリーや彼の祖先と同じ苦しみは多くの国で先住民が経験しています。西欧の近代化が始まっ
てから20世紀半ばまでの何百年かを考えれば、北米だけでなく、アフリカ大陸、オーストラリア大陸、
中南米、ロシア北東地域など、近代帝国主義諸国の侵略と殖民の対象となった世界のあらゆる場所で、先
住民の大規模な受難がありました。松前藩の場所請負制から始まって明治政府によって強化された、アイ
ヌに対する収奪・迫害も、この時期の出来事です。
もっとも、先住民迫害はなにも近代国家の専売特許ではありません。イギリスは中世国家への歩みを、
アングロ・サクソン・ユートによるブリテン島先住民の大虐殺と奴隷化から始めています。日本も古代王
朝確立・拡大の過程で、どれだけの伝統的地域文化が迫害・破壊されたのでしょうか。さらに古く、メソ
ポタミア、エジプト、ギリシャ、ローマ、中国などで古代国家が成立・拡大したときにも、その地域や周
辺で似たような事態が進行したはずです。古代と近代の中間には、モンゴルの世界帝国がありました。国
家の拡大とは、先住民が人と動植物で共有していた土地を奪い、分配・私有化し、先住民を殺戮し、隷属
させることでした。国家とともに、土地の私有と住民に対する権力支配が始まりました。
およそ階層化が進んで国家が成立したあらゆる場所で、同じことが起きたのだと思います。古代国家、
中世国家、近代国家の別はありません。優勢な国家の支配層と支配層につながる人々は、支配地の先住民
文化を軽蔑します。自分たちの優越を受け容れて従属に甘んじる者は奴隷化し、隷属しない者への迫害を
当然視してきました。ここ何十年かでようやく、確かな変化の胎動が感じられるようになっています。
(続く)