砂湯の白鳥 ムダの効用 14

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 まりさん、きれいな夜景。好きなピアノを仕事にできるのは素敵ですね。もっとも仕事になれば、趣味

で楽しむのとはちがうご苦労があるかもしれませんが。


 相変わらず屈斜路湖畔の砂湯には白鳥がうじゃうじゃ。陸をヨチヨチ歩いているのはあまり格好いいと

思わないけれど、空を飛ぶ姿は優雅です。ただ鳴声がけたたましくて。


              〔ムダの効用〕

14 交感する心の世界(承前)

 前回に続いて『リトル・トリー』が素材です。

 祖父は、「山のすべての動物の水場やえさ場、習性、足跡、さらには考え方から性格まで、どんなりこ

うな猟犬も足もとにおよばないほど知りつくし」(46頁)ています。洗い熊の考えを読み取ることができま

す。そのいたずらっぽいたくらみを笑いながらも、洗い熊の方が自分(祖父)を笑いものにすることもある

と言います。鳴声を聞くだけで、ヨタカが何を思い、フクロウがどんな気分でいるか、言い当てることが

できます。彼が自分たちの生活を脅かすことはないと動物たちは知っています。だから祖父はシカを呼び

寄せられます。ウズラの群れの中を通り抜けても鳥たちは騒ぎません。


  春と夏の間は、ぼくたちはわなをしかけるのをやめた。祖父が言うには、人間は結婚と闘いを二つ同

 時にできるものではないが、動物だって同じだ。動物がせっかく相手を見つけてつがいになったとして

 も、人間が狩を続けていたら、彼らは闘うか逃げまわるかしなくてはならず、子どもを生むことも育て

 ることもできない。となれば、けっきょくわれわれ人間も飢え死にする羽目になる。そこで、祖父とぼ

 くは、けものたちの繁殖期にあたる春と夏の間は、もっぱら魚を捕ることにした。

  インディアンは、けっして遊びで魚を釣ったりけものを狩ったりはしない。食べる目的だけに限って

 いる。遊びのために殺生(せっしょう)するほど愚かなことはない、と祖父は憤慨する。(後略) (172頁)


 ある昼下がり二人で川に行きました。祖父は魚の穴に手を突っ込んでナマズを獲り、もう土手に寝転ん

でいます。とつぜんガラガラ蛇が、まだ穴を探しているリトル・トリーの顔近くに現れます。気づいた祖

父がさっと少年の顔の前に手を差し出し、自分の手を蛇に咬ませて彼を守ります。もう一方の手でヘビを

絞め殺したものの、毒が全身に。少年は必死に駆けて祖母を呼んできました。彼女はすばやく傷口をナイ

フで切って血を吸い出します。少年に集めさせた樺の皮で火をおこし、空き缶に入れた川の水で数種類の

草の根、種、乾かした葉を煮出します。さらに、スカートを脱いで上端を結び、下端に何個か小石を結わ

えて投網にし、探し出したウズラを捕らえ、その生肉を傷口に当てて毒を染み込ませます。それから彼女

は一晩中裸の身体をぴったり祖父にくっつけて、体温で温め続けます。祖母の手当ては功を奏し、祖父は

朝には回復しました。祖父は少年に、祖母は夫に、感謝の言葉など求めはしません。ただ、自分のだいじ

な人を護る祖父母の豊かな知識・技・行動力は、リトル・トリーの心に強い印象を残したはずです。

 祖父母二人の会話ではしきりにキン(kindred=血族のkin)という言葉が出てきます。それは文脈によっ

てloveあるいはunderstand(理解する)を意味する動詞であり、ときにはkinfolks(親戚)を表す名詞です。

彼らにとって、理解することと愛することは同じです。リトル・トリーは身をもって学んだでしょう、人

は動植物と、互いの生を賭けて真剣に付き合うことで相手を深く知るのだ、と。祖父母のように、互いを

深く思いあうことは、相手の生きる体と心を深く理解することでもある、と。

 祖父母はウィロー・ジョーンという名の年老いたチェロキー・インディアンと、お互いをとても大切に

思いあう関係でした。彼は一山越えたところに一人で住んでいます。ある日いつもリトル・トリーが座る

教会のベンチに、房飾りのある鹿皮のさやに入った長いナイフが置かれていました。祖母が彼に、それは

ウィロー・ジョーンがおまえにくれたんだよ」と言います。


  それは、インディアンが人に贈りものをするやりかただった。インディアンは、さりげなく、そして

 理由づけなどしないでプレゼントするのだ。相手の目につく場所にプレゼントを置くと、黙って立ち去

 る。もらうほうは、もし自分がふさわしくないと思えば受け取らない。自分にその資格があると思って

 プレゼントを受け取ったのであれば、贈った人にあらたまって礼を言ったり、他人に吹聴するのは馬鹿

 げている。(233頁)


 好かれようと上辺を飾ったり、嫌われまいと本心を隠したりしたら、理解しあい尊重しあう関係にはな

れない。自然物に対しても人に対しても、ありのままの相手を深く理解することと、相手を大切に思うこ

とは同じ。リトル・トリーはそういう心を体に染込ませながら育っています。(次回に続く)