川面の氷 『46年目の光』 2

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 まりさん、障害は個性だと言うのは簡単ですが、実践するにはめげない意志と忍耐が必要でしょうね。

健常者にも、自分の個性を活かしきったと胸を張って言える人は、わたしを含め、多くはないかも。


 qqy*5*49さん、島根は曇りが続くようですね。美幌はあかるく晴れ上がる日が増えています。今日も一

時間ごとの予報欄には、お日さまマークが整列しています。気温は最低が-20度前後、最高が-8度で

すけれど。

「ご苦労様」と言ってもらえる資格はありません。埼玉と新潟に離れてくらしていたことなどを口実に、

父の介護はほとんど施設に任せてしまいました。まったく反応のない父を見ているのはつらくて。


 今日の写真は厳寒期の川辺で見られる氷のオブジェです。


 『46年目の光』の紹介を続けます。

 マイク・メイは小学校4年のとき、目が見えないのに低学年生の通学を見守る交通指導員を志願しま

す。もちろん校長をはじめ、まわりの大人は大反対。それでも彼は、音の変化や反響を手がかりに車の接

近を感知する能力を実証して、見事腕章をつけてもらうことができました。

 高校は受け入れを拒む地元校を母とともに説得(恫喝?)して、ただ一人の目に見えない生徒として入学

します。優秀な成績をとり、レスリングに熱中し、女の子への興味をつのらせます。見て楽しむことがで

きないのに触らせてくれと頼むわけにいかず、彼は深刻に悩みます。でも、りっぱな体格と容貌をもち、

スポーツに秀で、ものおじせず、相手の気持ちに敏感で、気質の似通う相手を見分ける嗅覚がありました

から、後に何人もの美しく能力すぐれた女性と親しくなります。

 27歳でスピード・スキーに目覚め、パラリンピックなど障害者の大会で数々のメダルを取り、マス・

コミの脚光を浴びたりもします。大学卒業後サラリーをもらう仕事も経験しますが飽き足らず、いくつか

ベンチャー・ビジネスを手がけ、成功したり失敗したり。そのうちに賢く、自立心旺盛で、彼の積極的

な生きき方に深く共感する美しい女性度と出逢って結婚し、二人の子どもの父親になりました。

 それまでの人生で、彼は目の見えないことをまったく不幸と感じることなく、刺激に満ちた人生を思う

存分享受していました。その彼が46歳にして自分の片目が、角膜幹細胞移植で視力回復の可能性がある

極めて稀なケースに該当すると知らされました。

 一般の予想に反して、視力回復はハッピーエンドではありません。わずかに残る記録では、視力を回復

した長期失明者は、目の見えなかった状態を懐かしみ、深刻なうつ状態に終わっています。それに、手術

にはガン誘発を含む、たくさんのリスクが伴います。それでもメイのモットーは、1 冒険する、2 好

奇心をだいじにする、3 転んだり、道に迷ったりすることを恐れない、4、道は必ず開ける、の4つで

す。視力を得たらより幸せになれると思ったからではなく、見えるとはどういうことかを知りたくて、メ

イは不安と戸惑いが待ち受ける手術を受けると、ついに決断しました。このあたりから彼の波乱万丈の冒

険がピークにさしかかります。(続く)