わが町美幌:新市街

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 健さん、たしかにどんなスポーツでも雑念を去ってプレーするのはむずかしいですよね。


 5時にブログにとりかかり、最初はつながったものの、そのあとはうまくインターネットに接続でき

ず、けっきょくこの時間になってしまいました。


 旧市街から徒歩10分ほどの国道沿いに、大型店が集まる新市街があります。ソフトクリーム屋さんは

現在閉店中。暖かいときだけの臨時店舗かな。ここから写真後方には、しまむら、小学校、大きな食品加

工会社とつづきます。その次、最後の一枚で大きな煙突が見えているのは葬儀場です。わたしもいつか、

ここで灰になる日が来るかも。

 このあたりまで新市街と言っていいのか、それともしまむらまでか、なんだかはっきりしません。この

町に限らず、日本では市街地と郊外=農村部の境界があいまいなところが多いですね。中国やヨーロッパ

の、かつては城郭を備えていた都市では、市内市外の別が厳格だとか。特にヨーロッパの歴史ある街は、

今でも強い強制力のある都市計画が行われていて、建物の外観や構造が美しく保たれているようです。

 今の日本では土地の私的所有権が前面に出ていて、市街地の公有地比率も開発規制も、ヨーロッパより

ずっと小さくなっています。労働によって加工された製品とちがい、自然物の性格が強い土地は、どこま

で私有権が認められるべきなのか、議論のあるところです。

 日本では幕末まで、共有地、公有地、入会権地などが、あいまいなまま入り混じってたくさん残ってい

たようです。明治になって、地租を税体系の基本とする政策のため、強引に私有化が進められました。現

在の、境目も統一性もなくだらだら続く土地開発は、このころから私権優位政策が続いた結果なのかもし

れません。

 もっとも江戸時代までの城下町も、城は大名とその武士団を護るもので、戦時にはその外の民家や住民

は捨てる前提で作られていました。城や寺院が公で、外の庶民は私だから勝手にせよは、明治以前からの

「伝統」かな。城郭内の民=市民の自治という「伝統」は育たなかった、と。