凍湖夕景 ムダの効用 9
健さん、ゴルフ三昧の毎日かな。歳とスコアーが並ぶ日までプレーできたらいいですね。
まりさん、ドイツでは街と郊外・農村部がきちんと区別されていますか?
凍りはじめた能取湖と湖畔の白樺林に夕陽が射していました。10日ほど前のことで、今日は雪が氷を
隠しているかな。
〔ムダの効用 9〕
9 縄文的くらし
家庭菜園で野菜やちょっとした果物・穀物を栽培し、庭で鶏などを飼育するとき、育て収穫する生産の
楽しみと、加工して食べる、あるいは知人に配る消費の楽しみが、一体になっています。縄文時代の採集
狩漁や石器・土器作りも同じでしょう。そして現代の山菜摘みや釣り、趣味の木工や陶器作りなども。
農家にも作物を育て収穫する歓びはあるでしょう。しかし、収穫物を市場に出してお金を得ることで、
消費からは切り離されています。得たお金は一部が機械器具、種苗、肥料などに投資され、一部は家族の
消費や貯蓄に充てられます。金の意味が生活のなかで重くなれば、生産の歓びにもその影響が及びます。
機械工業による大量生産では、製品の生産と消費の距離だけでなく、労働者と製品の間の距離も大きく
なります。働くのは定められた作業をして賃金を得るためです。指示に反しない限り、製品にどんな思い
入れを抱くかは問われません。質の管理や販売はまた別な労働者の仕事です。販路開拓・システムの設計
と改良・新分野開発・資金調達・人事など、補助労働者を指揮して経営陣がおこなう業務の役割が大きく
なります。
仕事のなかで工夫や創造の歓びを感じることができるとすれば、経営者やそれに近い職種の一部の人だ
けではないでしょうか。ほとんどの一般労働者は何かを作り出す歓びから切り離されています。歓びは消
費生活に求めることになります。生活必需品が全体として不足している段階では、人並みのくらしができ
る賃金が目標です。しかし、生活必需品がいきわたれば、並みの賃金では満たされなくなります。作り上
げる達成感に結びつかない消費では、渇いた人に与えられる塩辛い飲み物のように、癒される満足感が逃
げていきます。あの人のように豊かになれば満たされるのにという、馬の首に固定された棒で吊るされた
ニンジンのような、どこまで走っても届かない願望を追うことに。
収入や地位で同僚や隣人に勝ちたいという、逃げ水を追うような欲望は、きっと縄文的段階が終わった
ときはもう萌芽しています。と言っても、わたしは原始=ユートピア説を唱えているわけではありませ
ん。縄文時代の人々は、日常的に害獣や寒暖のストレスにさらされ、わずかな気候変動で食糧不足に陥
り、些細な病や傷で命を落とすことも多かったでしょう。平均寿命は20歳に達しなかったともいう推定
もあります。近代まで残っていた未開部族に、現代の大きな戦争より割合としては多くの戦死者を出す戦
闘が頻発していた、という報告を目にしたこともあります。原始=ユートピア説は近代人の幻想に過ぎな
いと思います。
しかし、自然物との交感に包まれて、生産と消費と遊びが一体になったくらしは、自己完結性がとても
強かったはずです。その生活様式を変革しようとする動きが内部から大きくなることはなかったでしょ
う。(続く)
まりさん、ドイツでは街と郊外・農村部がきちんと区別されていますか?
凍りはじめた能取湖と湖畔の白樺林に夕陽が射していました。10日ほど前のことで、今日は雪が氷を
隠しているかな。
〔ムダの効用 9〕
9 縄文的くらし
家庭菜園で野菜やちょっとした果物・穀物を栽培し、庭で鶏などを飼育するとき、育て収穫する生産の
楽しみと、加工して食べる、あるいは知人に配る消費の楽しみが、一体になっています。縄文時代の採集
狩漁や石器・土器作りも同じでしょう。そして現代の山菜摘みや釣り、趣味の木工や陶器作りなども。
農家にも作物を育て収穫する歓びはあるでしょう。しかし、収穫物を市場に出してお金を得ることで、
消費からは切り離されています。得たお金は一部が機械器具、種苗、肥料などに投資され、一部は家族の
消費や貯蓄に充てられます。金の意味が生活のなかで重くなれば、生産の歓びにもその影響が及びます。
機械工業による大量生産では、製品の生産と消費の距離だけでなく、労働者と製品の間の距離も大きく
なります。働くのは定められた作業をして賃金を得るためです。指示に反しない限り、製品にどんな思い
入れを抱くかは問われません。質の管理や販売はまた別な労働者の仕事です。販路開拓・システムの設計
と改良・新分野開発・資金調達・人事など、補助労働者を指揮して経営陣がおこなう業務の役割が大きく
なります。
仕事のなかで工夫や創造の歓びを感じることができるとすれば、経営者やそれに近い職種の一部の人だ
けではないでしょうか。ほとんどの一般労働者は何かを作り出す歓びから切り離されています。歓びは消
費生活に求めることになります。生活必需品が全体として不足している段階では、人並みのくらしができ
る賃金が目標です。しかし、生活必需品がいきわたれば、並みの賃金では満たされなくなります。作り上
げる達成感に結びつかない消費では、渇いた人に与えられる塩辛い飲み物のように、癒される満足感が逃
げていきます。あの人のように豊かになれば満たされるのにという、馬の首に固定された棒で吊るされた
ニンジンのような、どこまで走っても届かない願望を追うことに。
収入や地位で同僚や隣人に勝ちたいという、逃げ水を追うような欲望は、きっと縄文的段階が終わった
ときはもう萌芽しています。と言っても、わたしは原始=ユートピア説を唱えているわけではありませ
ん。縄文時代の人々は、日常的に害獣や寒暖のストレスにさらされ、わずかな気候変動で食糧不足に陥
り、些細な病や傷で命を落とすことも多かったでしょう。平均寿命は20歳に達しなかったともいう推定
もあります。近代まで残っていた未開部族に、現代の大きな戦争より割合としては多くの戦死者を出す戦
闘が頻発していた、という報告を目にしたこともあります。原始=ユートピア説は近代人の幻想に過ぎな
いと思います。
しかし、自然物との交感に包まれて、生産と消費と遊びが一体になったくらしは、自己完結性がとても
強かったはずです。その生活様式を変革しようとする動きが内部から大きくなることはなかったでしょ
う。(続く)