知床の鹿

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 写真は6月10日に知床五湖を回っての帰路、車を停めて森で撮ったた群です。この日はさらに下った

ところで、車道にたむろする一群に徐行を余儀なくされました。下旬にも何度か、霧多布に向かう道路わ

きの木立や、知床の斜面で見かけています。釧路川沿いや茅沼の森を駆ける姿も目にしました。今年は未

明の能取岬の大きな群に始まって、これまでになく頻繁に出会っています。


 また一つ読書の楽しみを堪能させてくれる小説を見つけました。『この胸に深々と突き刺さる矢を抜

け』上下(白石一文 講談社)です。主人公は胃ガン術後治療中の雑誌編集長。末尾で彼はガンを再発しま

す。しかし病気がメーン・テーマではありません。国や社会への公憤と、生の意味に対する私的な問いの

交錯。それがドラマの筋立てを押しのける勢いで繁殖し、他の小説と一味ちがう趣を醸しています。

 公憤の部分は、例えば次のような数字を挙げての容赦ない糾弾です。1億7千8百万人の栄養失調に苦

しむ子どもの存在、彼らを救おうと思えば容易にできる高収入を獲ているスポーツ選手や俳優、豊かな資

源収入がありながらそれが彼らの救済ではなく政府内部の利権で消えていくアフリカ諸国、イージス艦

艘の金額で彼らを救済できるのに黙って見過ごす日本政府、国民総所得の7%を占める0.1%の富者に

高税を課すことのできないアメリカの政治構造などなど。

 主人公の口を借りて作者はこう言いたいようです。政治がどうあるべきかはわかっている。富者の余剰

を貧者に投じて、現在の恐ろしいまでの格差を緩和すればいい。政治家が正しく国権を行使すればそれは

容易なのだ。だが政治家は権力の座に就くとその甘い蜜におぼれて、貧者への共感を失う。そして貧者

は、構造の本質を見抜くことなく、自分より弱いものを探していたぶる。逃げ場のない者は社会ではなく

自分を否定する。

 作者は社会を批判する一方で、何もできない、何もしない自分にも自覚的です。マザー・テレサのよう

に無私に徹するのは例外。人は一般に絶えず変容し矛盾する自分に、それと気づかず振り回されているだ

け。口先で正義を唱えて自分のエゴイズムを隠蔽する。権力行使で正義を実現しようとして、より大きな

悪を呼び出すこともある。過去と未来にはさまれた今を、自分はどう生きればいいのか。

 ひっきょう過去も未来も幻影である。現在だけが実在する。幻影に惑わされず、自分にとって確かな今

を淡々と生きるしかない。おおよそそんなメッセージでしょうか。細部の価値判断や断定には同意できな

いところも多々あります。しかし、ドラマの展開を切れ切れにしてまで、唐突に生硬な社会評論や自分の

生への思索をさしはさんで、それでも小説を破綻させない文体に、他に類を知らない新鮮なものを感じま

した。