美しいフキの花 タバコとメタボ
もわたしは野山を歩いていて、出会ったフキの花の美しさに心をうたれることがあります。とりわけ光が
遮られる森のなか、木の下で、白さが際立っています。
喫煙者が昔のように所かまわず煙をまき散らすことができなくなったのはいいことです。同席者の許可
を得て吸う、得られなければその人に煙の届かないところで吸う、多くの人が集まったり行き交ったりす
る場所では吸わない。それは今では当然のマナーです。ただ、物や衣類についた臭いもいやだから一切吸
うなと言われたら、それはちょっと、と思います。
腋が、ニンニク、どぎつい化粧や香水など、不快感を与える臭いはいろいろあります。それらに近づか
ないようにしたり、嫌われないように臭いを抑えたりは自然です。でも、病気や体質で除去できない臭の
ある人を普通は非難しません。自分から生皮の処理場や魚を扱う場所に行ったのに、臭いと非難する人は
あまりいません。タバコの臭いが嫌いだからあなたに近づかないよ、は当事者間の問題だから仕方があり
ません。しかしタバコを吸わない人の権利を守るため、喫煙できる場所をなくせ、超高額の税をかけてタ
バコを吸えないようにしろ、は不当です。他の悪臭と同じように、配慮や棲み分けで扱うべきです。
メタボを判定する特定健診が始まっています。成人病の原因になる肥満改善の指導をするということの
ようです。今のところ全住民の受診が義務化されてはいませんが、受診者の少ない自治体への交付金を減
額する、間接的な強制は行われています。タバコもメタボも健康に害があるから、その禁止は正当だとい
う考え方が流通しているみたい。「生きていること自体が善」という無反省な信仰が背景かな。
わたしは一度だけある人に体重を落とす努力をしたほうがいいと忠告したことがあります。他人の私的
な領域に干渉することに強いためらいはありましたが、本当に心配だったのであえて口にしました。タバ
コの害やメタボの危険性を説くことは賛成です。できるだけ正確に情報を広めて欲しいと思います。しか
し、自分の体への有害性を知った上でどう行動するかは、本人の自由に属します。法律や行政が禁止や改
善努力を強制したり、「本人のためにもなるのだから」と世論がそれを認めたりすることには、強い危機
感を覚えます。成熟社会には個人の愚行権を認める寛容さがあります。でも、アメリカにも日本にも、公
権力の強制力に頼ってでも、自分が認めない他人の行為を禁じようとする傾向があるようです。管理され
た家畜のような生は、わたしにとって死に勝る恐怖です。