せせらぎ公園今年最後の彩り

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 10月末のせせらぎ公園にはさまざまな彩がありました。次に華やぎが見られるのは半年後、4月の福

寿草と林床のスミレからです。路傍の小さなモミジは落ちた枝か幼木か確かめませんでした。次は赤ナラ

だと思います。エゾムラサキツツジの秋の葉は春の花に劣らずきれいです。最後は紅葉の定番、カエデ。

どんな種類でしょうか。わたしはイタヤとヤマモミジも区別できません。


              新しい文明の姿を考える 

(17) 知の民主化(前)

 産業の現場では、「カイゼン」運動が浸透した一部大企業や、従業員が家族の一員のように経営の心配

をする小規模な作業所を除いて、現業労働者は創意工夫を期待されていません。一般的には、休まず遅刻

せず、指示された作業をミスなくこなし、忙しくなったら残業し、ヒマなときには仕事と労賃を減らされ

ても、待遇に文句を言わない、そういう労働者が歓迎されます。彼らを監督する中間管理職は、そつなく

現場をまとめ、上が策定した計画を忠実に実現する能力が求められます。彼らが経営管理の根幹にかかわ

イノベーションを発案することは期待されていません。企業幹部とそのスタッフだけが、大胆な創意工

夫と決断に責任があると考えられています。

 こういう序列構造が支配的な理由は二つ考えられます。第一に社会的な格差・階層制です。前近代の身

分社会では、上位身分に生まれたものだけが社会集団のために創意工夫する才が必要で、低い生まれのも

のは、上位者に特別な才能を愛でて身分を引き上げられた場合以外、牛馬のように働けばいいと考えられ

ていました。伝統秩序への忠誠が倫理になつている社会でした。

 いまでは世界のほとんどの地域で身分制度が壊れ、能力主義が普及しています。その要点はこうです:

生得的な才能と努力に優れたものが、上級教育の機会を与えられる。彼らのなかから創意工夫と決断が求

められる地位に就くものが出るのだから、上級教育では最大限の学習の自由が認められなければならな

い。基礎教育の段階で上昇の望みがないものは、やがては現場で単純作業を担当することになるのだか

ら、彼らには指示を理解して従う程度の知能と忠誠心を教育すればいい。両者を仲介する中間的な層に

は、教育も両者の中間的なものを。

 能力主義社会での階層上昇は身分社会ほど絶望的ではありません。誰にでも機会が与えられる(べき)基

礎教育の段階から、試験で才能と努力の成果を示し続ければ、社会的地位を上り詰める可能性がありま

す。体制指導者はここを誇張して、才能と努力で万人に機会が与えられる平等な社会という神話を流布さ

せようとします。しかし庶民は、とにかく教育の階梯を上昇すればいいのだと、リアルに認識していま

す。カネをかけたり、無理強いしたり、可能であれば不正な手段を使ったりしても、上級学校に進ませた

りむずかしい資格を取らせたりしさえすれば、子どもが社会の上層に食い込む機会があるのだ、と。

 能力社会の事実は:経済的・知的環境に恵まれて、周囲の思惑に従順なまま育てば、上級教育の一画に

食い込み、そこで創造力と表現力を身につける機会が大きくなる。ただし、周囲に従順であろうとする努

力のために育つ能力が偏ることも少なくない。経済的あるいは知的に貧しい環境で育った人が、教育階梯

を上昇したり、正規の教育以外で才能を伸ばしたりすることは、よほど幸運に恵まれない限り困難だ。

 それでも、教育の完全公費負担が制度化されていて、基礎教育段階からすべての生徒を対象に、創造

力・表現力を養う教育が実現している、ごく少数の例外的な国も現れています。そこでは、能力主義を超

える知の民主化が始まっています。その教育が洗練され、職場がこれまで論じた方向に変化すれば、知の

民主化が一応完成したと言えます。すなわち職場で、全員がイノベーションの発案、評価に参加するよう

になり、縦の序列より横のコミュニケーションが自然に秩序を生むような方向です。文明がこの段階に入

っても、個人の不幸はなくならないでしょう。しかし、個人の不幸を増幅する外的要因はずっと小少なく

なります。(続く)