モヨロ貝塚

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 知床リップ さん、朝焼け・夕焼けをしみじみ眺めたのは、子どものころを別にすると、尾瀬蔵王

どの山に行ったときだけでした。埼玉や東京に住んでいたころに見た記憶は残っていません。こちらでは

晴れていれば毎日でも、茜色や青空や白雲を楽しむことができます。それだけでもうれしいです。


 中学の社会科だったでしょうか、ずいぶん昔目にしたモヨロ貝塚という言葉が記憶に残っていました。

網走にあったんだと意識したのは、こちらに移ってからです。何度か近くを通ったときに寄ろうと思いな

がら、入り口がわからず延び延びになっていました。きのう久しぶりの好天に誘われてオホーツク海が見

たくなり、途中ここ立ち寄ることにしました。河口近くの海岸地域とわかっていましたので、海産物加工

場が立ち並ぶ狭い道に入り、やっと見つけました。

 町なかですから、常呂遺跡・ポー川遺跡などとちがって狭い感じです。今も手を入れているようで、竪

穴のふちや林の中までは入れません。それでも出土した人骨や獣骨を展示してありますので、他とちがう

興味をそそられます。説明パンフによれば、地下は3種4層からなり、時代ごとの遺物が内蔵されていた

そうです。骨の写真を説明板と一緒に撮りましたので、興味がある方は読んでみてください。

 復元住居は現在もロシア極東地域に住む少数民族・ギリヤーク人(ニブヒ)の冬家です。ギリヤークは蔑

称とされ、いまはニブヒと呼ばれるようです。夏は地上の丸木小屋で、冬は竪穴住居でくらしたと説明板

にありました。骨は竪穴跡で見つかったものとか。謎の多いオホーツク文化人は彼らだという説を見たこ

とがあります。