北海道が独立共和国になっていたらー続き

イメージ 1

 1869年5月函館で、薩長を中心とする新政府軍と佐幕勢力の最後の決戦が行われました。榎本武揚率いる佐幕軍は敗退し、新撰組副長土方歳三ほか多数が討ち死しています。生き残った榎本らは降伏しました。戦の前に函館の五稜郭に集った反政府勢力は、選挙(入れ札)で榎本を最高指導者(総裁)に選んだといわれています。彼は、反政府勢力と在地の倭人アイヌを糾合して、北海道独立共和国を作り、フランスの後押しで国際社会に承認してもらう構想を持っていたようです。敗戦で夢のまま潰え去りましたが。
 もし反政府側の軍艦が不運な事故にあわずに健在で、もしフランスがプロイセンに対抗するため海外から撤退する情勢でなかったら、この夢は実現したかも。歴史に「もし」は禁じ手ですが、想像するのは面白い遊びです。明治新政府は、天皇の名で専制政治を行い、富国強兵を急ぎました。榎本たちにとって天皇は敵のシンボルであり、徹底抗戦派にとって最後の将軍徳川慶喜はいはば裏切り者でした。海外事情に詳しい榎本が「共和制」を考えることはありそうです。
 フィンランドは200年間スウェーデンの支配に、その後100年はロシアの支配に屈しました。100年ほど前に独立してからも、ソ連の干渉に苦しんでいます。それでも隷属するよりは戦いを選び、独立独歩を貫いて現在の繁栄にいたりました。北海道共和国も、ロシアやそのほかの外国との関係に苦しんだと思います。でも、幻の「共和国」は、薩長主導の日本に対抗意識を燃やしたでしょうから、日本帝国とはちがう道を選択したかもしれません。ほとんど農業しか産業のなかったフィンランドは、教育を徹底的に改革して、社会的格差の小さい情報大国として羽ばたきました。北海道共和国はどうだったでしょうね。いまの、首都圏・関西圏の景気回復を指をくわえて眺めるような事態にはならなかったかも。

 今日の写真は美幌町を流れるもう一つの川、網走川の春です。