北斗遺跡へ
nam**i214さん、図鑑の発行元を確かめずに失礼しました。でも、ぴったりのサイトを紹介していただ
き、検索の労を省けてたすかりました。野草の図鑑はいくつか見つけてありましたが、シダは初めてでし
たので。
恩根内のビジターセンターは折悪しく火曜日が休館日で中に入れませんでした。そこから駐車場に戻る
道際の森に巨大なフキ群落が広がっていました。道道53号線で釧路市展望台を過ぎてすぐのパーキング
から、湿原を遠望できます。その先の道標に従って北斗遺跡に立ち寄りました。遺跡展示館の裏から700
mの木道を登ると、200を超す竪穴住居跡が点在し、そのうち5個が復元されている湿原の一画に出ま
す。木道脇にはたくさんのエンレイソウが咲いていて、なかには花びらが薄く色づいているものもありま
した。展示館でもらったパンフによると、恩根内から北斗遺跡まで遊歩道をたどることができるようで
す。3時間ほどの時間をとり、市展望台から恩根内のセンターへ行きそこで木道を回ってから、北斗遺
跡を訪ねて展望台に戻るコースも楽しそうです。次の機会に試してみましょう。
湿原周辺の遺跡をプロットしてある地図を見ると、石器時代から擦文文化時代まで、百単位の遺跡があ
るようです。わたしはこれまで、入植者が開拓を始めるまでの北海道には、原始の森が広がる中にごく少
数のアイヌ集落が点在するだけというような、漠然としたイメージを持っていました。本州に統一国家が
成立して以来の中央史観に毒されていたようです。いくつかストーン・サークルが残っていることは知っ
ていましたが、小規模で孤立していたもののように考えていました。
だんだんわかってきたのですが、オホーツク海沿岸から本州北部にかけて、石器時代からアイヌ時代ま
で、本州とも大陸北方文化圏とも活発に交流する独自の文化が、繰り返し栄えてきたのですね。海岸や湖
周辺だけでなく、内陸にも多くの集落があったようです。さっきちょっと美幌町内の遺跡を検索してみま
した。どこまでをひとつと数えるかでちがってきますが、少なくとも20を超える集落跡があるみたい。
北海道全域となったらどれだけあるのか、カウントしようと始めましたが、多すぎてあきらめました。
き、検索の労を省けてたすかりました。野草の図鑑はいくつか見つけてありましたが、シダは初めてでし
たので。
恩根内のビジターセンターは折悪しく火曜日が休館日で中に入れませんでした。そこから駐車場に戻る
道際の森に巨大なフキ群落が広がっていました。道道53号線で釧路市展望台を過ぎてすぐのパーキング
から、湿原を遠望できます。その先の道標に従って北斗遺跡に立ち寄りました。遺跡展示館の裏から700
mの木道を登ると、200を超す竪穴住居跡が点在し、そのうち5個が復元されている湿原の一画に出ま
す。木道脇にはたくさんのエンレイソウが咲いていて、なかには花びらが薄く色づいているものもありま
した。展示館でもらったパンフによると、恩根内から北斗遺跡まで遊歩道をたどることができるようで
す。3時間ほどの時間をとり、市展望台から恩根内のセンターへ行きそこで木道を回ってから、北斗遺
跡を訪ねて展望台に戻るコースも楽しそうです。次の機会に試してみましょう。
湿原周辺の遺跡をプロットしてある地図を見ると、石器時代から擦文文化時代まで、百単位の遺跡があ
るようです。わたしはこれまで、入植者が開拓を始めるまでの北海道には、原始の森が広がる中にごく少
数のアイヌ集落が点在するだけというような、漠然としたイメージを持っていました。本州に統一国家が
成立して以来の中央史観に毒されていたようです。いくつかストーン・サークルが残っていることは知っ
ていましたが、小規模で孤立していたもののように考えていました。
だんだんわかってきたのですが、オホーツク海沿岸から本州北部にかけて、石器時代からアイヌ時代ま
で、本州とも大陸北方文化圏とも活発に交流する独自の文化が、繰り返し栄えてきたのですね。海岸や湖
周辺だけでなく、内陸にも多くの集落があったようです。さっきちょっと美幌町内の遺跡を検索してみま
した。どこまでをひとつと数えるかでちがってきますが、少なくとも20を超える集落跡があるみたい。
北海道全域となったらどれだけあるのか、カウントしようと始めましたが、多すぎてあきらめました。