釧路湿原の花々 3

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 nam**i214さん、やっぱりスギナの仲間ですか。さっそく教えていただいてありがとうございます。そ

れにしてもりっぱなシダ図鑑をお作りになったのですね。花の図鑑は多いけどシダは珍しい。また何かの

ときは頼りにさせていただきます。


 フタゴさん、丸っこくて黒い穂先がクロバナハンショウヅルですか。初めて見ました。雨龍沼湿原って

いいところみたいですね。東北の湿原みたいに穏やかな感じがしますけど、道南でしょうか。


 釧路湿原の花第3弾はベニバナイチヤクソウ、ヒオウギアヤメワタスゲです。


 録画しておいた『ライズ(rize)』という映画を見ました。LAの下町でストリート・チルドレンの間に

広まった、クラップ・ダンスとその背景をテーマにしたドキュメンタリーです。05年にアメリカで作ら

れた作品で監督はディヴィッド・ラシャペル。

 見ている間、しきりに「横溢」という言葉が脳裏に浮かびました。この言葉を強く印象付けられたのは、

中学生だったある日、和辻哲郎の『風土』を読んでいたときです。砂漠地帯に生きる人びとの感性を特徴

付けるものとして、和辻は使っていました。きっと、抑えても抑えきれずに洩れ溢れる情感のイメージ

が、家族・学校・社会と自分の間にある違和感を、肌着に刺さってどうにも抜けない棘のように感じてい

た、前期思春期のわたしの心に響いたのでしょう。

 日本では先ごろ秋葉原で起きた連続殺傷事件が大きな反響を呼びました。アメリカ大都市のスラムで生

きる人びとには、暴力犯罪に巻き込まれるいわれなき被害が、毎日のくらしで特に珍しくもない現実にな

っているようです。そういう日常で、裏暴力集団との薄い境界線のこちら側に踏み留まろうとする人々の

なかに、祖先のアフリカ的身体リズムが繰り返しよみがえります。

 温和な温帯的風土で理不尽な暴力被害がまだ例外的な日本に生きるわたしたちとちがい、格差社会アメ

リカのスラムで、ありふれた貧困と暴力をかいくぐって生きなければならない人びとには、体の底から洩

れて溢れる情感が溜まるのだと思います。そこから横溢するものの表現は、例えば『ウエストサイドスト

ーリー』のような、表の文化にも反響しています。オバマが大統領になったら、あの国で活力源の一つに

なっているエスニックな要素が、いっそう活性化するのでしょうか。かの国の底力軽んずべからず、で

す。

 穏やかな日常のなかで繊細な差異を愛でる人々は、生々しく猥雑な表現を忌避するところがあります。

しかし日本にも、農民や都市下層民の過酷なくらしから溢れ出た芸能が、洗練された表の芸術を賦活させ

てきた歴史があります。人は死がありふれた厳しい環境のなかでも、何とか生き延びようともがきます。

そのなかで抑えきれずに洩れてくるものが文化の栄養源です。文化の根は深いところで命につながってい

ます。だから性的感情も文化の不可欠な要素です。衛生無害な「日本的伝統」に安住することなく、異質な

もの、猥雑なものをできるだけ許容する、そういう懐の深い社会でこそ文化が豊かに育ちます。

 それにしても、最低限つつましくても穏やかなくらしを保障する政治を求めながら、文化的表現にはぎ

りぎりのところから生まれる緊張感を期待する、このわたしの態度は矛盾していますね。もっとも、貧困

やヒト同士の殺し合いがなくなっても、個人が命をかけて挑戦しなければならない課題は尽きないでしょ

うけど。地球はヒトにとって手狭になっているのに、地球外の宇宙は生命をはねつける過酷な世界です。

そして、ヒト文明の急発展を可能にしたここ1万年余の温和な気候の持続に、黄色信号がともっていま

す。人為起源の温暖化あるいは自然の振動としての寒冷化のどちらかが、いつ信号を赤に変えてもおかし

くない時期に来ているのですから。