林床の小さな花たち 4
季節が1ヶ月ほど後戻りしました。今朝は最低気温が零下で屋根や畑にうっすらと雪がついていまし
た。芽が出て間もないホウレンソウ、芍薬、ユリや、庭に下ろしたピーマン、カボチャの苗、それに頭を
覗かせていたアスパラなどが、傷んでいないかなー。イチゴやスミレは丈夫ですから心配ないでしょう。
写真はせせらぎ公園のオオバナノエンレイソウと呼人遊歩道のアズマイチゲが2枚ずつ。最後の1枚は
ヒゴグサでしょうか。三富自然公園で一本だけ見ました。最初はヒトリシズカかと思って撮ったのです
が、葉がイネ科みたいですからまったく別物です。
〔新しい文明の姿を考える 〕
(4) 文明の現在
売買市場がなく自家消費だけが目的で生産する段階では、家族の必要を超えて増産する動機がありませ
ん。衣食住が満たされれば、あとは自作できない必需品との交換に充てるだけ余分に生産すれば足りま
す。商業集団以外では、宗教的・政治的権力を握った支配者層だけが、人々の余剰労働を集約して、自分
たちの必要に充て、大きな建造物を作り、産物を蓄え、一般人に手の届かない遠隔地との交易(しばしば
貢納―下賜の形で)を営み、希少な宝物を集めました。権力に与らない農工民は、自発的な動機がないの
で、強制されなければ自分たちの必要以上に労働力を支出しません。
商品経済が浸透する前は、強制力をもつ権力者の階級が生産性向上の社会的エンジンでした。より広い
範囲からより多くの余剰労働をより効率よく収奪できる一族や国が、強大にも豊かにもなります。支配領
域が固定されると、領民の生産性向上に関心が向けられます。支配の維持拡大にも生産性向上にも、被支
配者層の自発性は期待できず、強制力に頼ることになりますから、社会組織の骨格に安定した支配―被支
配の構造が欠かせません。このため世界中のいたるところで、文明がある段階に達すると家父長制の色彩
をもつ身分制度が現れました。
古代・中世でも、支配下の領民・小作人・奴隷からできるだけ多く収奪しようとする支配者と、残され
た部分で何とか生きて子孫を残そうとする直接生産者の努力で、じりじりと生産性が向上します。しか
し、生産性が最初に飛躍したのは、農耕牧畜と金属製品を含む道具の使用がはじまった頃で、2回目に生
産性向上のギアが切り替わるのは、近代に入って商品市場が経済の中心を占めるようになってからです。
その間の千年あるいは数千年の効率向上は微々たるものです。
ジェフリー・サックスは次のようなマディソンの推定を紹介しています。紀元1000年からの800
年間に世界平均で一人あたりの所得はおよそ50%増えただけだったのに、1820年から2000年ま
での間に9倍近くになった(『貧困の終焉』早川書房 鈴木主税・野中邦子訳 69・70頁)。ゲイリ
ー・ハメルとビル・ブリーンは、アメリカ製造業の生産性が1890年から1958年の間にほぼ5倍に
なったと書いています(『経営の未来』日本経済新聞社 藤井清美訳 P.15)。
企業経営者は、売って儲けるという自発的動機で、より少ない投資からより多くの物を得て、より多く
売りより多く利益を上げようと競い合います。経営・生産・販売に役立つ新しい技術・知識が求められる
ようになり、その結果、地球の裏側にも瞬時に情報が伝わり、月に人を送り火星に探査船を着陸させると
ころまで、文明が進みました。18・19世紀全体と20世紀の大半で、近代帝国主義諸国は商品生産の
必須要素である原・燃料と販売市場の支配をめぐって争いました。企業活動を保護・支援する国力・武力
の優劣が、国家の盛衰を左右しました。それをファシズムやスターリニズムは、経済力は強力な国家の組
織・武力に着いてくるかのように錯覚しています。しかし前世紀中に、民間経済を国家の統制下に置こう
としたナチス・ドイツも、民間資本の活動を禁圧したソ連も崩壊しました。そして今では世界中で、売っ
て儲ける民間経済活動をできるだけ統制せずに支援するのが国家の役割だ、という考えが優勢になってい
ます。(続く)
た。芽が出て間もないホウレンソウ、芍薬、ユリや、庭に下ろしたピーマン、カボチャの苗、それに頭を
覗かせていたアスパラなどが、傷んでいないかなー。イチゴやスミレは丈夫ですから心配ないでしょう。
写真はせせらぎ公園のオオバナノエンレイソウと呼人遊歩道のアズマイチゲが2枚ずつ。最後の1枚は
ヒゴグサでしょうか。三富自然公園で一本だけ見ました。最初はヒトリシズカかと思って撮ったのです
が、葉がイネ科みたいですからまったく別物です。
〔新しい文明の姿を考える 〕
(4) 文明の現在
売買市場がなく自家消費だけが目的で生産する段階では、家族の必要を超えて増産する動機がありませ
ん。衣食住が満たされれば、あとは自作できない必需品との交換に充てるだけ余分に生産すれば足りま
す。商業集団以外では、宗教的・政治的権力を握った支配者層だけが、人々の余剰労働を集約して、自分
たちの必要に充て、大きな建造物を作り、産物を蓄え、一般人に手の届かない遠隔地との交易(しばしば
貢納―下賜の形で)を営み、希少な宝物を集めました。権力に与らない農工民は、自発的な動機がないの
で、強制されなければ自分たちの必要以上に労働力を支出しません。
商品経済が浸透する前は、強制力をもつ権力者の階級が生産性向上の社会的エンジンでした。より広い
範囲からより多くの余剰労働をより効率よく収奪できる一族や国が、強大にも豊かにもなります。支配領
域が固定されると、領民の生産性向上に関心が向けられます。支配の維持拡大にも生産性向上にも、被支
配者層の自発性は期待できず、強制力に頼ることになりますから、社会組織の骨格に安定した支配―被支
配の構造が欠かせません。このため世界中のいたるところで、文明がある段階に達すると家父長制の色彩
をもつ身分制度が現れました。
古代・中世でも、支配下の領民・小作人・奴隷からできるだけ多く収奪しようとする支配者と、残され
た部分で何とか生きて子孫を残そうとする直接生産者の努力で、じりじりと生産性が向上します。しか
し、生産性が最初に飛躍したのは、農耕牧畜と金属製品を含む道具の使用がはじまった頃で、2回目に生
産性向上のギアが切り替わるのは、近代に入って商品市場が経済の中心を占めるようになってからです。
その間の千年あるいは数千年の効率向上は微々たるものです。
ジェフリー・サックスは次のようなマディソンの推定を紹介しています。紀元1000年からの800
年間に世界平均で一人あたりの所得はおよそ50%増えただけだったのに、1820年から2000年ま
での間に9倍近くになった(『貧困の終焉』早川書房 鈴木主税・野中邦子訳 69・70頁)。ゲイリ
ー・ハメルとビル・ブリーンは、アメリカ製造業の生産性が1890年から1958年の間にほぼ5倍に
なったと書いています(『経営の未来』日本経済新聞社 藤井清美訳 P.15)。
企業経営者は、売って儲けるという自発的動機で、より少ない投資からより多くの物を得て、より多く
売りより多く利益を上げようと競い合います。経営・生産・販売に役立つ新しい技術・知識が求められる
ようになり、その結果、地球の裏側にも瞬時に情報が伝わり、月に人を送り火星に探査船を着陸させると
ころまで、文明が進みました。18・19世紀全体と20世紀の大半で、近代帝国主義諸国は商品生産の
必須要素である原・燃料と販売市場の支配をめぐって争いました。企業活動を保護・支援する国力・武力
の優劣が、国家の盛衰を左右しました。それをファシズムやスターリニズムは、経済力は強力な国家の組
織・武力に着いてくるかのように錯覚しています。しかし前世紀中に、民間経済を国家の統制下に置こう
としたナチス・ドイツも、民間資本の活動を禁圧したソ連も崩壊しました。そして今では世界中で、売っ
て儲ける民間経済活動をできるだけ統制せずに支援するのが国家の役割だ、という考えが優勢になってい
ます。(続く)