雪の日のナナカマド
実だけが赤く光っていました。
いま敬愛するS.J.グールドの『神と科学は共存できるか?』を読みはじめています。宗教と科学は
互いに重ならない別な領域の原理だから、ともに越境することがなければ共存できる、と論じています。
彼はプロテスタント原理主義の反進化論者との言論戦で先頭に立っていました。同じ戦列にいたリチャー
ド・ドーキンスは、9・11以後、戦闘的無神論者としての立場を明確にしています。ドーキンスにとっ
てグールドのこの作品は不満が多いものだとか。
グールドがガンとの二度目の闘いで世を去って5年。まだ最後のエッセイ集は邦訳されていないようで
す。現代進化論のリーダー、遺伝子原理主義のドーキンス、生物多様性原理主義のE.O.ウイルソン、
そしてグールトの三人の著作はみな、わたしの愛読書でした。ドーキンスの非合理的思想への徹底した批
判はわたしの気持ちを代弁してくれます。しかし、遺伝子やミームですべてを説明したがるところは、わ
たしの気分に合いません。ウイルソンからは環境問題についてたくさんのことを学びました。しかし彼の
スピリチュアルへの傾斜には警戒心があります。気分としてはグールドが一番ぴったり来ていました。
わたしもドーキンスと同じように夢想することがあります。現世を、死後に実現する真の生に至るかり
そめのくらし、と説く宗教を一掃したい。個人にとって一回限りの人生こそが唯一の現実であるという考
えが普及しない限り、戦争がなくならないだろう、と。グールドも似た立場だったのに、なぜ最後になっ
て折衷的な作品を書いたのでしょう。読み終わったとき、ドーキンスの不満を共有しているのか、それと
もやはりグールドだと納得しているのか、どちらでしょうね。