ところ遺跡の森

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 サロマ湖常呂川の周辺ではいままでに、旧石器時代から縄文、続縄文期を経て、擦文期(オホーツク

文化、アイヌ文化と時期的に重なる)に至る、9個の遺跡群が発見されました。そのうち、岐阜第二遺跡

のあるサロマ湖岸の森が、ところ遺跡の森として整備され、公開されています。わたしが訪れたのは、8

月20日の月曜日で、遺物が展示されている遺跡の館は閉館日でした。それでも、木漏れ日の森をそぞろ

歩き、竪穴跡のくぼ地や復元住居を眺めることはできました。

 最初に案内板の写真を載せましたので読んでみてください。この地で縄文土器が作られるようになる前

の寒い時期に、北東の大陸と地続きの時代があり、その後も大陸の北方文化圏と交流が続いていたようで

す。中国や朝鮮の文化とつながっていた南西日本とは、一味ちがうくらしがあったのでしょう。オホーツ

ク文化人など、モンゴロイドではなくコーカソイドだったのかもしれません。この文化の痕跡は600年

前ぐらいで消えているようですが、彼らはどこへ行ったのでしょうか。

 住居の復元は、教育委員会が中心になって、東大の研究者たちが協力し、ボランティアが労力を提供し

て行われているとか。骨組みの露出している建物の近くには、脚立やシャベルがありました。現在進行中

の事業です。遺物発掘にも参加できるようですよ。木陰に草葺屋根が見える最後の写真の復元住居を眺め

ているとき、見張り役の縄文人が出てくるんじゃないかという感覚に、一瞬とらわれました。