丸瀬布の藤  日本の保守化 4

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 ゆめラジさん、こちらのイチゴはようやく花が終わり、実をつけはじめたばかりです。野菜が育つのは

いいのですが、草取りが大変です。背景に写った葉はローズマリーではないと思います。隣の人はハーブ

に興味がないようですから。ウチの庭ではレモンパームとカモンミールが育っています。


〔日本の保守化 4〕

 ソ連邦解体以後、「社会主義陣営」に幻想をもっていた護憲・平和・民主勢力が無力になった。保守政

界ではもう穏健派が強固派を抑制できない。左翼政権成立による中ソの武力介入の恐れという論理が、無

効になったからである。過激保守思想が政治の中央に進出した。かつては「青嵐会」や「青年将校団」と

呼ばれる片隅の存在だったのに。だが、強固派を権力の座に押し上げた原動力は、互いに争う政治思想の

帰趨ではない。バブル崩壊に続くグローバル化で動揺する経済・社会の基本構造と、都市化・情報化によ

って不安が増幅され漂流しはじめた庶民の生活感情である。

 「日本国株式会社」の名がふさわしい官民一体の経済構造が、戦後復興からバブルへと続く日本の経済

成長を主導した。経済官僚が、個別資本の競争で手綱を握り、公的資金を重点分野につぎ込み、輸出を奨

励した。大企業は中小の下請け・系列企業を指揮して、抱え込んだ天下り官吏をパイプに省庁と個別に連

携した。新しい教育制度が、中学・高校新卒の新鮮な労働力を大量に供給し、大都市経済圏が彼らを農村

から吸引した。日本的な計画経済の下での資本主義が、有効に機能し高度成長が繰り返された。そして、

社会主義陣営」を背景にもつ社共・総評にそれなりの存在感があって、経済成長の成果が労賃、社内福

祉、公的福祉にも、徐々に分配されるようになり、「総中流化」の生活感情が広く社会に行き渡った。

 企業は年功序列・終身雇用を核に、権威主義と家族的な情緒で従業員をまとめ上げた。労働組合や保

守・革新の諸政党でも、抗争で勝利した分派の領袖たちを頂点とする人脈の、権威主義的秩序が機能して

いた。その周辺に位置する学問・医療・文化などの領域でも、成功者からはじまる人脈が集団の秩序を支

えた。新しい学校教育の現場では、伝統的な権威主義者と、「民主教育」を叫ぶ革新系の教員たちが、せ

めぎあっていた。民主派教師は、「みんな仲良く」の平等主義的な集団秩序に生徒を閉じ込めたがる。そ

して、仲良し集団からはみ出す強い個性を刈り取ることにも熱心だった。そのためなら、時には陰に陽に

ボスの生徒や権威主義的管理職にも協力する。

 日本の社会ではどこでも、自由や民主主義の言説の裏側で、省庁や企業系列や派閥などの強い縦の秩序

が機能していた。指導的地位にある個人の心のなかでは、大局的な見識や主義主張にもとづく誠実な判断

と、帰属する集団・人脈の個別利害への現実的な配慮が、引き剥しがたく複雑に癒着していた。広い見識

をもつ良心的な個人は誠実であろうとするが、生活感情が優先される場合にはほとんど後者だけが判断基

準になる。

 並立し閉鎖的結束が強い系列どうしが激しく競い合って効率を上げる。政権保守幹部は、アメリカの武

力による傘の下で東西冷戦の前線に立つ消耗を回避し、強い権限をもつ官僚を通じて競合する縦系列組織

を指導・調整する。この、いわば日本的な集団指導社会主義が経済的には成功した。大企業の平社員と中

企業の課長と零細企業の社長が同列で、大企業の課長と中企業の役員が一線に並ぶというような、緩やか

だが横断的な階層構造が現れてくる。それぞれの組織の終身雇用・年功序列の対象になった労働者は、そ

の秩序から外れない限りよりよい将来を期待できた。「勉強していい大学を出」れば、横断的社会階梯で

親より上に登る見込みがある。臨時工、日雇い、町の商店主、零細農業従事者など、年功序列社会から外

れる人の割合は減少していた。人々の生活感情としては、絶望や反逆心より希望や達成感が優勢になる。

これがバブルまで日本の経済・社会を貫く基本構造だった。(つづく)