芝桜(再)  日本の右傾化 3

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 滝上の芝桜。前回載せられなかったものの中から。


 〔日本の右傾化 3〕

 戦前から続く政・財界の保守派が講和後に抱いた野望は、低賃金で長時間働く従順な従業員を指揮して

企業収益を拡大し、強い正規軍をもち、人権を制限して治安を強化し、伝統的序列秩序を再び安定させ、

米ソにものが言える大国になることだった。これらの集約点が憲法改正である。ここ四半世紀を振り返っ

てみると、国際的情勢としては、毛沢東の退場と鄧小平の権力掌握、東欧の民主化ソ連邦の解体とつづ

く、「社会主義圏」の事実上の消滅によって、彼らが野望を実現する展望が開けたたことがわかる。

 これ以前は国民が「社会主義」を選択する事態が保守政党や財界の悪夢であり、その恐怖心が、彼らの

過激な行動の足枷になっていた。保守強固派がホンネを垣間見せると、社会党(特に左派)と共産党議席

が増える。左翼が政権を握れば、中ソと結んで、財界人や保守政治家を粛清するのではないか。もちろん

実際に事態が緊迫すれば、米軍の支援による武力クーデターも考えなければならない。しかしできれば経

済を混乱させる内戦は避けたい。そのためには、経済成長を急いでその成果を広く分配し、社会保障を整

備し、国民に保守政権への希望をもたせなくてはならない。そして、戦前を思わせる露骨な治安政策や戦

争への、国民の嫌悪感に火をつけることも避けなければならない。強固派が頭をもたげるたびに、支配層

の内部でそういう抑制が働いた。

 実際にはアメリカの要求に逆らえないが、それでも保守派には見果てぬ夢がある。いつの日か国力を充

実させ、権威的序列秩序で国民をまとめ上げ、アメリカともその他の大国とも対等に渡り合いたい、とい

うものだ。彼らに心地よい序列秩序は、自主自尊の欧米精神風土と相容れない。彼らには、中身は時代錯

誤だが、欧米とはちがう独自の理想がある。対米従属は戦略的な醒めた選択という面が強い。

 むしろ、社共とその同伴知識人・文化人のほうが、「社会主義諸国」に対する甘い幻想に酔いしれてい

た。国民に、やがてソ連や共産中国が経済競争で西側に勝利し、世界中の労働者に幸せをもたらす、そう

信じさせようとした。だから、米英の原水爆には反対すべきだがソ連核兵器は平和の手段だとか、「米

帝国主義は日中共同の敵」だとか、文化大革命はすばらしいとか、北朝鮮に帰国して祖国建設にまい進し

ろとか、臆面もなく口にできた。保守派には「日本的伝統」があったが、社共には独自思想を掘る拠りど

ころがない。彼らは中ソの代理人として行動するだけだった。

 やがて鉄のカーテンが破れ、「社会主義諸国」の悲惨な貧困、張り巡らされた監視と密告の網による息

苦しい日常、投獄と銃殺による血みどろな弾圧、指導者への個人崇拝の強制などの事実が、国民に広く知

れわたった。そうなれば、「平和な労働者の天国」と説いてきた彼らが、国民の信頼を失うのは当然だ。

少なくとも、自由を求めるハンガリー市民をソ連軍の戦車が踏みにじった1956年以後は、幻想から醒

めて国民に誤謬をわび、日本独自の民主思想を築く道もあったはずだ。だが社共とその同伴者たちは、あ

いかわらず中ソとの連携を前提とする「護憲・平和・民主主義」に頼り続けていた。

 ソ連の惨めな解体を否定できなくなって、彼ら自身茫然自失する。日本国憲法を東西両陣営のどちらと

もちがう、独自な国家戦略の武器に使う構想が育っていなかったので、彼らの中からも、軍事力整備・ア

メリカとの同盟という保守思想に合流する勢力が生まれた。戦後初めて自衛隊合憲を公的に宣言した首相

は、社会党村山富市だった。日本の「護憲・平和・民主主義」は「平和勢力(中ソ)」への幻想と一体だ

った。社共の没落とともにその思想基盤が消える。もう、保守強固派が抱き続けた野望の前に立ちはだか

る思想的障害はない。あとはアメリカ一強時代の国際情勢の潮目を読み、経済構造と生活意識の変化を待

ってばいい。