日の出 心ない政治家

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 女満別の丘陵地帯に昇る朝陽です。

 〔心ない政治家〕                 

 正社員のあなたが、派遣の同僚の仕事ぶりについて、「待遇に不満ばかり言って、まともに働かない」と

考えるとします。彼が怠けてあなたの仕事に差し障り、いらいらして「まじめにやれ」と怒鳴ってしまう。

忙しい日常では、この水準の理解で物事を処理することが多いでしょう。しかたのないことです。

 でも派遣の待遇を議論する会社の会議にあなたが参加したときは、もう少し広い理解を求められます。

待遇を改善すればやる気になるのか、どうせ戦力にならないのだから解雇してコストを削減すべきなの

か、根拠を示して発言しなくてはなりません。

 さらに国政選挙で、所得格差に対する政策のちがいで投票する候補者を選ぶことになれば、もう一段広

い理解が必要になります。国際経済競争力を重視してある程度まで格差を容認すべきか、社会の混乱回避

を重視して積極的に格差緩和を目指すべきか。「ある程度」とはどこまでか。現在はその線を越えているの

かいないのか。

 場面によって理解の深さを使い分けることになります。より深い理解には、その前の判断が含まれるの

は当然です。しかし、判断の対象が広がるにつれて、その他にも考慮すべきことが増えていきます。最初

の判断だけでどの場面も押し通すのは、心の狭い頑固者です。

 ヒトの心について、東大助教授(哲学)の野矢茂樹さんが、こんなことを言っています。(「日経サイエ

ンス」07年2月号「人間の“心”とは何か」)


   異なるモノの見方が出会い、その違いを収める場所として「心」が必要とされる。そして「異なる

  心=異なる見方」の存在に気づくのは、自分と異なる見方を持った他人と出会うことによる。


異なる見方を収めるのが心だとすれば、集団的自衛権行使に賛成する人だけ集めた懇談会を作り、憲法

釈変更の道筋をつけようとしている安倍首相は、「心ない」政治家ということになります。

 厳しい残業にあえぐ正社員が非正規雇用者を、ワーキング・プアーが福祉から切り捨てられる人を、そ

れぞれ「自業自得」と言い放つ、とか。社会が全体として、異なる見方と正面から向き合う、より広く深

い理解を、放棄する方向に進んでいるのでしょうか。わたしも、窮乏に追い込まれる抗しがたい事情を理

解できない富者の育ちを、わかろうと努力するほどには心が広くないようです。