美幌夜明け 貧しいけどしあわせ

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 2月19日の美幌川提の夜明けです。


 老境にさしかかり人生の帳尻を考えることもある。いまのところの決算は、「貧乏だけどしあわせ」

だ。シルバー会で「することがなくて退屈」と言った人がいた。わたしは1日に36時間はほしい。食べ

ること、読むこと、見ること、撮ること、書くこと、見てもらうこと、みんな楽しい。

 「一人ぐらしの老人の寂しさ」が語られることもある。わたしはもともと話すことが得意じゃないか

ら、だれとも会話しない日もつらくない。若いときの独りの寂しさのほうが、生物学的に考えて、厳しい

のではないだろうか。その時期に妻との25年間に恵まれ、その後で、息子の健やかな育ちに寄り添うよ

ろこびも知った。そしていまも、楽しみを汲み出せることがいっぱいある。本や映画の作者との対話な

ら、気を使わないで好きなことが言える。ひどい悪口を言っても報復される心配はない。教えられる満足

は深い。

 もっと収入や財産があったら、妻に先立たれた後ですてきな女性と恋愛したり結婚したりできたかもし

れない。想像するからいいので、現実だったら、耐えなければならないさまざまな葛藤やわずらわしさも

あっただろう。睦みあう老後と、だれに遠慮せず、好きなことを好きなようにやるやすらぎは、トレー

ド・オフだという気がする。どちらか片方で、両立はしないような。
 
 ほとんど国民年金だけのくらしでは、できないことも少なくない。世界中を旅しているお年寄りも身近

にいる。わたしには国内でも豪華な宿に泊まる旅は無理。だが、玄関先でダイヤモンドダストに魅せら

れ、目の前の河原で樹氷に感嘆し、ちょっと遠出してビジネスホテルで一人酒を汲めば、十分満足。金額

だけで言えばご近所でも、わたしより所得の多い老人世帯のほうが多い感触だ。だが皆さんつましくくら

している。わたしのように、ちょっとしんどいことにすぐ業者を呼ぶようなことはしない。

 現在非正規雇用で働く若い人に、将来わたし程度の生活のゆとりをもてない人が多くなるのではと、心

配だ。その点でもわたしは恵まれている。かってある人がわたしを評して、「公的生活では連戦連敗だっ

たね、」と言った。気を使って、「だけどやさしい」とフォローしてくれたけど。確かにわたしは人生の

勝利者とは言えないかもしれない。だけど、「負け」の意識はまったくなかったから、ちょっと不思議な

気がして、その言葉がいまも記憶に残っている。社会に対しては望みほどにはお役に立てなかった、とい

う悔いは残る。だけど個人のくらしではとてもしあわせ。

 いまの大衆メディアには、「あなたが貧しいのはあなたが努力しなかったから、あなたがふしあわせな

のはあなたの心がけのせい、」のようなメッセージが少なくない。わたしは国立の大学に入るところまで

はいったから、機会はあった。機会を活かさなかった自分のせいで貧しいのだ、というのはわたしの場合

は当てはまる。でもいましあわせだから、自分の選択に後悔はない。この「しあわせ」のほとんどは、

「心がけ」の賜物ではなく、育った家庭環境のおかげだ。わたしは幼いときに母をなくしている。父は、

教員給与を頼りに5人の子どもを養い、本人が望むまま全員を大学まで進ませた。衣食は貧しかった。だ

けど、中学の同級生のほとんどは、成績のいい人も、高校に行かせてもらえない、もっと貧しい家に育っ

た。彼らのなかに貧しく不幸せなまま人生を終わる人がいたら、それは断じて彼らの個人的責任ではな

い。

 父に何より感謝したいのは、劣等生のわたしに成績のための勉強をまったく求めず、ラジヲドラマ、マ

ンガ、本、音楽、動植物の知識など、知的関心につながる機会はさりげなく用意してくれたこと。なかな

か自分で本を読み始めないわたしに、兄たちは根気よく読み聞かせをしてくれた。知的発達の遅い弟の面

倒を見るように、父から言われていたのだと思う。強制することなく、自然に知的関心や意欲が育つよう

に配慮できたのは、父に深い教養があったからにちがいない。

 成功者は自分が意欲をもって努力したから成功したと思いたがる。でも努力する能力や意欲にも環境で

格差ができる。進学できる経済条件と、いい文化的環境に恵まれたから、わたしのいまのしあわせがあ

る。今後の日本が、すべての子どもの環境格差を減らす努力をする社会でありますようにと、わたしは願

う。