「家族がだいじ」と「家族再生」

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 同じような雪景色でも、季節の移ろいで微妙な差がでるみたい。最近は樹氷にも色彩感が増している気

がします。日差しが強くなっているのでしょうか。冒頭の2月3日の風景は、1月はじめと比べてどうで

しょう。


 早すぎた妻の死を思えば、いまでも自責の心が動きます。なぜもっと深くつながろうとしなかったの

か、と。幼かった息子のむかしにも後悔が残っています。なぜもっといっしょに体をぶつあう戯れをしな

かったのか、と。いまならわかります。男女・親子の関係は、やり方しだいで深くも浅くもできること

が。傍目(はため)や格好つけの着物を脱いで、素の自分をぶつけて裸の相手を引き出す。「家族がだい

じ」は、それが核心でしょう。生きる喜びを深める相手の存在を確かめ合うことに比べたら、「あるべき

夫婦・男女の姿」や「子どもの教育」はほんのつけたし。

 男女・親子にも旬(しゅん)があります。芽吹きを損なわれた植物は育たないか、育っても奇形になりま

す。旬の時期に深め合うことに失敗した男女・親子の関係は、健やかに育ちません。「家族がだいじ」

は、少しでも家族の味を知っている人には、古今東西いつでもどこでも存在する自然な気持ちです。でも

カップルは、自分の遺伝的資質や生育環境から来るものをぶつけ合って裸の対になるのですから、同じ形

は二つとありません。男女や親子の特定の形の押し付けは、それぞれに固有な対の関係をゆがめる圧力に

なりがちです。

 時代によって、階層によって、社会に都合のいい家族の形があって、それが遷(うつ)り変わりました。

家族にまつわる社会の進歩とは、男女二人の両方、親子二人の両方に自然な関係はすべて承認し、片方の

奇形がもう片方を損なう恐れがあるときに社会が介入する、という方向だと思います。結婚・離婚・同

棲・事実婚同性婚・片親家族、どのような形でも、対になる二人が互いに自然な関係を求めて選んだも

のはすべて承認し、その選択によって住宅、職業、収入、教育などに一切の差別が生じないように保障す

る社会、それが現在では最もいい社会ではないでしょうか。そういう社会では、結果として家族関係が強

化されると思います。

 アメリカやヨーロッパでは、反動もありますが、趨勢としては「承認」が進んでいます。北欧を中心に

いくつかの欧州国家は、「保障」も強化しています。そういう国では出生率の反転がはじまりました。イ

スラム教やキリスト教原理主義者は、特定の家族の形に固執しています。日本で少子化対策・教育改革

として唱えられる「家族再生」や「家庭教育の重要性」は、具体的に定義しないまま、人々を古い家族の

形に誘導しようとする運動の一環です。

 イスラム原理主義の強い国では、女性の社会的地位が劣悪なところが多くなっています。日本は、女性

の社会的地位(ジェンダー・エンパワーメント指数)、女性の就業率、男性賃金と比べた女性の賃金、女性

の高等教育進学率、教育費の国家負担率のすべてが、先進国中でほとんど最低です。男女・親子の対の関

係をだいじにしたい・深めたいという、自然な気持ちを、特定の家族形態を強調する方向へ誘導すること

に、ある程度成功しているから、こういう不平等が改善されないのだと思います。

 主婦と同棲女性、共稼ぎ主婦と専業主婦、婚姻家庭の母親とシングルマザー、キャリアー・ウーメンと

女性パート・タイマー、私立・予備校に子どもをやれる母親とそれができない母親、さまざまな条件のち

がう女性の間で対立をあおる、何者かの策謀に乗せられる人が、女性の中にも少なくないことが残念で

す。