匠(たくみ)は技を教えない
10月末の屈斜路湖です。
職人の世界には、「技は教(おそ)わるもんじゃなくて盗むもんだ、」のような言い方があるそうです。
「盗む」には、何をどう盗むか、自分の目的意識と創造力が働いています。学習塾の仕事をしていたこ
ろ、学校に行っている子と行っていない子の、両方がわたしのところに来ていました。学校に行っている
子たちからしょっちゅう聞くセリフは、「習ってないから知らないよ、」でした。行っていない子からは
聞かないセリフです。テレビゲームにはまっている子は、だれかに習ってうまくなるのではないようで
す。攻略本を立ち読みして技を覚えるのは、「教わる」より「盗む」がふさわしい表現です。
チンパンジーの親は仔に教えないそうです。では、例えば固い実を石で割って食べる技を、仔はどうや
って覚えるのでしょう。親がやるのをじっと見ていて、割れた実を掠め取ることからはじまる。そのうち
に親を押しのけて自分でやってみる。うまくいかないのでいやになって、また掠め取るほうに戻る。そん
なことを何度か繰り返すうちに、できるようになる。だが、ならない仔もいる。親は仔に自分でやるよう
に促したり、どうすればうまくいくかやって見せたりすることはない。ただ、仔がちょっかい出しても追
い払ったりはしない。そういう観察記録を読んだことがあります。
あるアメリカ原住民の部族には、大人が子どもに教える習慣がなかった、と書かれているのを読んだこ
とがあります。教えてもらって覚える学習のほかに、見ていてその気になり、やってみて失敗するうちに
覚える学習もあるから、この部族の文化は廃れなかったし、匠の技も受け継がれてきました。チンパンジ
ーもアメリカ原住民も伝統的な技の継承者も、くらしのなかで遊んだり楽しんだりしながら、ゆっくり学
ぶことのできる環境にいました。学校で傷ついて不登校になった人は、そういうふうに時間をすごすこと
もできます。
でもいまは、広い教養と深い専門知識をもち、それを独創的に使える人を、大量に効率よく養成しない
と、経済がうまくいかない時代です。時間が限られていれば、すぐれた方法で教えられる学習のほうが、
効率がいいはずです。しかし教える行為が強制になり、教えられる側の内発性を押し殺す危険もありま
す。一方、自発的な体験による学習では、動機の強弱、それに生まれとそれまでの経験による資質の差異
によって、学習効果のちが大きくなります。
これからは、学習者の自発性と、効率と、落伍者を出さないことと、三つがそろった教育制度が必要で
す。まず、家庭の経済力による学習機会の格差をなくす。その上で、はじめは遊びと区別できない体験的
学習を多くして、動機の高まり合わせて、だんだん教えられる学習を増やす。そして、知識・技能が、学
習者の選ぶ課題を実現するために使われることで、学習者に蓄積されていくような学習プログラム。いま
の日本では、親も学校も、受身で教えられる学習にしか目が行っていないようです。自発的な動機が弱
く、豊富でも使い方のわからない知識・技能しかもたないのでは、創造的な仕事はできません。
職人の世界には、「技は教(おそ)わるもんじゃなくて盗むもんだ、」のような言い方があるそうです。
「盗む」には、何をどう盗むか、自分の目的意識と創造力が働いています。学習塾の仕事をしていたこ
ろ、学校に行っている子と行っていない子の、両方がわたしのところに来ていました。学校に行っている
子たちからしょっちゅう聞くセリフは、「習ってないから知らないよ、」でした。行っていない子からは
聞かないセリフです。テレビゲームにはまっている子は、だれかに習ってうまくなるのではないようで
す。攻略本を立ち読みして技を覚えるのは、「教わる」より「盗む」がふさわしい表現です。
チンパンジーの親は仔に教えないそうです。では、例えば固い実を石で割って食べる技を、仔はどうや
って覚えるのでしょう。親がやるのをじっと見ていて、割れた実を掠め取ることからはじまる。そのうち
に親を押しのけて自分でやってみる。うまくいかないのでいやになって、また掠め取るほうに戻る。そん
なことを何度か繰り返すうちに、できるようになる。だが、ならない仔もいる。親は仔に自分でやるよう
に促したり、どうすればうまくいくかやって見せたりすることはない。ただ、仔がちょっかい出しても追
い払ったりはしない。そういう観察記録を読んだことがあります。
あるアメリカ原住民の部族には、大人が子どもに教える習慣がなかった、と書かれているのを読んだこ
とがあります。教えてもらって覚える学習のほかに、見ていてその気になり、やってみて失敗するうちに
覚える学習もあるから、この部族の文化は廃れなかったし、匠の技も受け継がれてきました。チンパンジ
ーもアメリカ原住民も伝統的な技の継承者も、くらしのなかで遊んだり楽しんだりしながら、ゆっくり学
ぶことのできる環境にいました。学校で傷ついて不登校になった人は、そういうふうに時間をすごすこと
もできます。
でもいまは、広い教養と深い専門知識をもち、それを独創的に使える人を、大量に効率よく養成しない
と、経済がうまくいかない時代です。時間が限られていれば、すぐれた方法で教えられる学習のほうが、
効率がいいはずです。しかし教える行為が強制になり、教えられる側の内発性を押し殺す危険もありま
す。一方、自発的な体験による学習では、動機の強弱、それに生まれとそれまでの経験による資質の差異
によって、学習効果のちが大きくなります。
これからは、学習者の自発性と、効率と、落伍者を出さないことと、三つがそろった教育制度が必要で
す。まず、家庭の経済力による学習機会の格差をなくす。その上で、はじめは遊びと区別できない体験的
学習を多くして、動機の高まり合わせて、だんだん教えられる学習を増やす。そして、知識・技能が、学
習者の選ぶ課題を実現するために使われることで、学習者に蓄積されていくような学習プログラム。いま
の日本では、親も学校も、受身で教えられる学習にしか目が行っていないようです。自発的な動機が弱
く、豊富でも使い方のわからない知識・技能しかもたないのでは、創造的な仕事はできません。