久しぶりの第二部です

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第一部

 今日も夜明けの空の写真です。


 昨日の硬いテーマに、知らない若い人が興味をもってコメントをくれたのがうれしくて、久しぶりに第

二部を載せます。孫が生まれ、彼とその両親のくらす将来の世界が、ますます心配になりました。少しで

も説得力のあるものにしたくて、連載を終わった『フィンランド・・・』を、大幅に書き直しています。

今日はその一部です。


第二部
 
〔西欧の公共空間と日本の公(おおやけ)〕

 東京基督教大学の哲学教授・稲垣久和が、教育基本法改正案について朝日新聞に書いたなかに、次のよ

うな文がある(06・12・4 「私の視点」)。


  (前略)「公共」とは、一口でいえば「特定の国民だけでなくすべての人に開かれている共通の関心 

 事」で、「異質な他者と対話し、触れあいながら、協働で生活を築き上げる広場」を意味している。 

 「市民社会」を形成するためのダイナミックな概念だ。

  これに対し、「公」は従来の日本語では、国、官、政府、天皇といった「おほやけ」の意味で使われ

 てきており、両者はまったく違う。

  改正案には「法律に定める学校は、公の性質を有する」(6条1項)、「私立学校の有する公の性質」

 (8条)と「公」の言葉も使われているが、文脈に沿って読む限り「公」と「公共」は何も区別されてい

 ない。(中略)

  愛国心と同時に連想するのは戦前の民族精神である。この場合の精神は少し歴史を調べれば分かるよ

 うに「滅私奉公の心」という内容をもっていた。(後略)

 わたしの理解では、日本に昔からある上下関係にもとづく縦の秩序である「公」とちがい、「公共」は

同格原理にもとづく横の秩序であり、明治以後流入した欧米政治・社会思想の一部である。イギリスを例

に短くその由来を見よう。サクソン・イングランドには一円領主制が発展して分邦化する芽があったが、

ノルマン・コンケストでこの方向は消える。はじまりは、王宮でのテナント・イン・チーフ(王からの直

接受封者)たちの会合である。王やそれぞれのバロン(有力な直接受封者)の領地は、一箇所に集約される

ことなく、各地に分散して混在し、直轄地以外は中小領主に再授封されていた。クレア・レギス(王会)に

遅れて、各州にそれぞれの授封者を越える中小領主の州共同体が、都市に(有力)市民の会合である都市共

同体が、成立する。やがて、これらから公共の法・政治空間が生まれた。日本では、階層分化が進みはじ

めた古墳時代から、幕藩体制が整備された江戸時代まで、一定領域を一円支配する大小の首長間の縦の序

列が、社会秩序の骨格であった。この間、同格者の横断的公共空間が成立したことはない。

 ゲルマン系西欧諸国の中世身分制度には二つの起源がある。一つは家父長制的なラテン古代からのもの

で、キリスト教とともに浸透した。もう一つは親族団の格の違いにもとづくゲルマン古代からのものであ

る。ゲルマン的身分制度には、出生の同格の原理が含まれている。同じ父と母から生まれたものどうし

は、年齢にかかわりなく、原理的に同格である。拡大されると、同じ祖先につながる親族団メンバーの同

格になる。兄弟姉妹が同格だから、その子ども世代は同格者集団である。

 原住故土を離れて遠征し征服地に建国すると、親族団は分解し、その団結と親和は崩れ、軍事的な位階

制がやがて身分に変わっていく。ローマ=キリスト教的序列意識は、家族のなかで、そして異なる身分、

特に自由身分と隷属身分をつなぐ秩序として、もうひとつ宗教的位階制の原理としても、機能した。だが

同じ身分の横の関係には同格原理が残る。中世では、王との距離、本人や従者団の武力、支配する土地の

大きさなどで地位を競いあい、新旧の身分がたびたび交代した。同じ身分に成り上がったものは同じ権利

を主張する。近代以後身分制度が衰え、同格が国民規模に拡大された。(ここまでは、筆者が雑誌『試

行』44号から73号で論じた歴史評論の三篇を下敷きにしている。)異国人、他人種にまで同格を及ぼ

す思想は、歴史は浅いが、表向きは現代世界の良識として普及している。いまの経済的原則は、原理的に

同格なものの間で、能力と努力によって地位を競うという、というものである。

 日本の主従関係は、少なくとも江戸中期までには、上から下まで人格的な要素と切り離せなくなってい

た。農村の本家・分家でも、大名と家臣でも、公的あるいは職務上の役割が、恩と報恩の意識で運用され

る。奉公に出れば、主人の庇護に身をゆだねて服従すべきなのである。日本の「公」は、官許の人格的上

下関係だから、私的領域にも浸透できる。この秩序は、関係が良好で親和感が高揚している場合は、個人

の心に強い安定感をもたらすが、破綻すれば泥沼である。