感情が記憶を決める

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 一ヶ月ほど前の北見緑のセンターで見た草モミジです。たしか近くにエゾツチコグサって札があったよ

うな気がしていましたが、そんな名前の植物は調べても見つかりませんでした。エゾチチコグサの記憶ち

がいでしょうね。チチコグサはまったく別な植物ですから、札は枯れて気づかなかった草のものでしょ

う。というわけで草モミジの名称は不明です。


 前回の記事に釣りをしている人のコメントがありました。その方のブログをちょっと覗いてみました 

が、仲間と行く釣りは楽しそうですね。わたしもこの冬クロカンスキーか何か、体を動かすことをやりた

いな。でもそれにはまず、右腕のしびれを直さなくては。


 「あなたあのとき△△△って言ったでしょ。」「ちがうよ、○○○って言ったんだよ。」長く夫婦やっ

てるあなた、こんな会話の経験はありませんか。わたしはあります。でも、20年前に女房に先立たれま

したから、どうして二人の記憶が食い違うのか、確かめあうことはできません。

 人の記憶は録画・録音とはちがうようです。脳の奥で記憶の入り口になっている海馬が、すぐ隣の感情

にかかわる扁桃体に干渉されるんでしょうか。うれしい気持ちをこめて言った言葉が、その感情に染まっ

て△△△と記憶された。奥さんは何かの理由でその言葉にむっとして、怒りの感情が入ったために、○○

○と記憶してしまう、というように。

 法廷の証言も、証人の感情でバイアスがかかっていて、客観的な事実とちがうことが少なくないと、何

かで読みました。夫婦なら、その会話があったときのお互いの感情を思い出すことができれば、食い違い

の原因を納得できることもあるでしょう。二人とも自分の記憶が機械の記録のように客観的だと思ってし

まうと、相手が自分に都合のいいウソをついているように感じて、関係が険悪になるかも。人の記憶はそ

のときの感情と一緒で全体だと、考えたほうがいいのかもしれませんね。