人と人の逃れられない関係 1

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 今日も峠の写真です。


 夜中にアルコールが抜けて目を覚ましたとき、もう一度眠りが来るまでの間、いろんな考えが頭に浮か

ぶことがあります。昨夜は人と人の関係の濃淡を考えました。おもしろそうなテーマですので、ときどき

捏(こ)ねまわしてみようと思います。


 さまざまな対人関係には濃淡があって、濃いものからはなかなか逃れられず、淡いものはわりあい容易

に切れます。いちばん断ちがたいのは、自分(意識)と自分(生き物)、それに胎児と母親でしょうか。今日

は胎児と母親の話をすこし。


 ヒトの母親は人工中絶をすれば、胎児との関係を切ることができます。胎児は自分からはけっして切れ

ません。もっとも、受精卵はかなりの割合(三分の一くらい?)で、胎児の形になる前に流れているといい

ますから、これを出生拒否と考えれば別ですけど。実のところたいていは、卵と精子の遺伝子不適合や、

致死遺伝子の発現で、自然流産するみたいです。


 着床して育ちはじめた胎児は、時間だけで発現する遺伝プログラム以外は、完全に母親に依存していま

す。発現が環境によって調節される遺伝子のふるまいは、母体の生理に左右されますから。そして母体の

生理は、栄養や健康状態だけでなく、母親の感情にも影響されます。健康もそうですが、感情はとくに、

本人の生育暦や、夫など家族の接し方や、職場を含む社会の状態で、変わります。ですから、時代の環境

は胎児に届くとも言えます。ただそのすべてが、母親を通じて伝わりますから、胎児期の環境はすべて母

子関係に収斂(しゅうれん)されます。


 母子関係は胎児期のこの上なく濃密なところからはじまって、子の成長段階によって濃淡が遷(うつ)り

変わります。時期時期の生物学的な濃淡が母親の意識に適切に反映されないと、たぶん子の精神はゆがむ

と思います。


 今日のところはこの辺までにしましょう。