フィンランド・モデルは好きになれますか 37

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第一部
 美幌の秋は深まっています。今朝夜明け前にパソコンに向かったときにはストーブに火をつけました。庭のトドマツに赤い実がつき、小鳥たちがつつきに来ます。

第二部
       フィンランド・モデルは好きになれますか 37

 5 課題

(2) 情報と競争の社会で人の心は(承前)

〔意欲を求められるつらさ〕
 目莞ゆみはスウェーデンフィンランドのテロ・殺人事件に触れている。そのなかに次のようなものがある。03年スウェーデン外務大臣アンナ・リンドが、ストックホルムのデパートで買い物中に、刺殺された。外相がEU加盟と通貨統合に積極的だったことが原因につながっているといわれる。フィンランドでは、02年にヘルシンキ郊外のショッピングセンターで、19歳の工科大学生が自爆し、7人が死亡、80人が負傷。この事件の動機は不明だが、その他に家族内の争いが原因で爆破事件が起きている。05年タンペレで18歳の長男が両親を斧で惨殺し、妹二人に重傷を負わせた。彼は妹たちも殺すつもりだったと言っているという。麻薬をやっていたといううわさがある。スウェーデンフィンランドアイスランドデンマークノルウェーを加えた北欧五カ国は、いずれも一人当たりの国民総生産が世界のトップクラスで、社会保障も手厚い。しかし、当然のことだが、これらの国もこの世の天国ではない。心が壊れることもあるし、ドロップアウト、麻薬、テロ、犯罪、自殺もある。
 フィンランドでは、エシコウル(就学準備教育)も含め、児童期と思春期前期の学校教育は10年か11年である。その間最終学年以外は一般に、子どもが成績評価に悩まされることはない。お受験や塾・家庭教師に追い立てられることもない。だから日本や韓国とはちがう。それでもこの国の子どもにも、自分を見つめる大人の目がストレスの素になることもある。学ぶ意欲はあるか、創造力は順調に伸びているか、きちんと自己主張できているか、ビジネス感覚は育っているか、仲間や異性とうまくやっていく社会性はどうか、普通とちがう独自の才能の芽はないか、親は期待をこめて見守っている。教師は問題があれば支援しようと、油断のない視線を注いでいる。そして何より、高校入学、大学入学資格試験、就職という選別の時が待ち構えていることを、子どもはいつか意識するようになる。同時に、親や教師の期待・関心が、そういう選別にかかわる自分の資質に向けられているように感じてしまう。彼らの視線は生身の自分を素通りしている、と。
 お受験、塾、家庭教師など、一人ひとりの教育機会を不公平にする外的要因はほとんどない。そうなると、やがて身に降りかかる収入や社会的評価の格差は、すべて本人の責任になる。障害があっても、覚えるのが遅くても、それで切り捨てられることはない。あなたの個性なのだから、あなたらしく伸びていけばいいと、手を差し伸べられる。これでは遺伝的資質のせいにもできない。意欲がないのも、努力ができないのも、独創性を発揮できないのも、自己主張できないのも、人との付き合いが消極的なのも、その原因も結果もすべて自分で引き受けなくてはならない。
 彼らが生まれ育つのは、グローバルな経済競争で先頭グループから脱落しないため、必死で情報・サービス化を推進している社会である。競争にせかされず毎日同じペースで堅実に働きたい、他人の後についていって言われるとおりまじめに努力したい、人間関係に煩わされずひっそりと自然に向き合う仕事が好きだ、そういう人に居心地のいい場所を提供し、敬意を払う余裕はこの国にはない。自分には、健康で文化的な最低限の生活は保障されても、人並み以上の収入を得たり、社会から尊敬されたり、異性の愛情を勝ち取ったりするチャンスはない。そういう感覚が煮詰まれば、自暴自棄になることも、気持ちが萎えることもあるだろう。
 努力はしようと思ってもできるとは限らない。意欲があれば適切なプログラムで努力を学習することはできる。ヒトの脳は満足の遅延に耐える可能性をもっているのだから。だが、プログラムは入学以前から、生まれたときから、本人の意思にかかわりなく始まっている。意欲はほしいと思えば湧いてくるものではない。認められ励まされたりすれば意欲的になれるかもしれない。だがここでも、家庭から人生が始まる限り、学習を学習させる理想的なプログラムが学校に準備されていても、学校ができることには限度がある。心が壊れていく人に対して、よく整備された社会制度は経済的、治療的支援を提供できる。だが心の形成を一からやり直す機会は提供できない。
 フィンランドでは教職は最も競争の激しい職業のひとつである。意欲があり努力できる人が教師になることが多いはずだ。そういう人には、意欲が湧かず努力できない子どものつらさに共感するのは、容易な仕事ではない。Г播鎮羚彦は、フィンランド職員組合のアンケートに言及している。それによると、4人に1人の教師が、いま選べるなら教職を選ばないと回答している。主な理由は、「仕事が忙しくなった一方で、生徒たちも荒れてきたからだ」、という。
 学校や社会制度にできることに限度があるのなら、そこからは向精神薬を処方する精神科医や、心理療法をする臨床心理士の出番なのか。脳の科学とそれに基づく心理学は始まったばかりである。今後は彼らが活躍できるケースがもっと増えていくだろう。だがヒトの脳はこの宇宙でもっとも複雑な物質である。複雑系では、出発点の微細な差異が結果に大きなちがいをもたらす。脳の素材はすべての人に共通なヒト遺伝子プールから選ばれるから、脳構造の大枠は決まっている。その枠内で、どの素材がどう組み上げられるかで固有性が生じる。胎児の胎内環境も乳幼児の生育環境も、一卵性双生児でさえ同じではない。同じ軌跡をたどる心は二つと存在しない。科学は普遍性を追及する。パターンを抽出し分類することはできる。抽出からこぼれる心の軌跡の乱れは、文学の対象にはなっても、科学的なあるいは共同社会的な対応の対象にはなりきれない。
 制度や科学の明快な言葉が届かない心の領域は、社会保障が整備され、科学的教育理論が普及していっても、課題として残る。最後の節は、この課題を念頭に置きながら、まとめてみたい。
 (この項終わり)