フィンランド・モデルは好きになれますか 35

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第一部
 写真は美幌川と堤の散歩道です。

第二部
            フィンランド・モデルは好きになれますか 35

 5 課題
 
 (2) 情報と競争の社会で人の心は

〔生命と意識〕
 物質変化のある方向を進化と呼ぶとする。単純なものから複雑なものへ変わる(エントロピー減少)方向と、複雑なものから単純なものへ変わる(エントロピー増加)方向に分け、複雑化を進化、複雑性の崩壊を退化と定義してみよう。そうすると、進化は生命以前の、宇宙誕生から始まっていることになる。物質進化の歴史を、科学的にそして情熱的に語った、すばらしい本がある。『宇宙・エントロピー・組織化』(ユベール・リーヴズ 国文社 宇田川博訳 1992年刊)である。この節のわたしの記述の何割かは、たぶんその無意識の受け売りである。もっと正確な科学的説明を求める方は、同書を読んでほしい。
 現在の物理学が語る宇宙像では、インフレーションとビッグバンと星々の死を経て、素粒子、軽い原子と単純な分子、重い原子と複雑な分子が、ヒトの基準ではとてつもなく長い時間をかけて、この順で生み出されたとされている。有機物は最も複雑な構造をもつ分子である。その有機物が複雑な構造に組み上げられて生命が誕生した。構造化が幾重にも重なるのは、すべての変化のなかで数少ない偶然である。たくさんの偶然の遺伝子変異のなかに混じるごくわずかな幸運な変異を積み重ねて、生物は進化する。生物は、宇宙の他の部分にエントロピーを増加させて、誕生し生命を維持し進化する。
 複雑なものは脆(もろ)い。生物は死ななくてはならない。死によって体は有機分子へ、さらに無機物へと退化し、蓄えたエントロピーを放出する。宇宙は、ミクロとマクロのスケールで、進化と退化を同時進行させている。だが、両者は対等ではない。物理学の法則は、閉じた系のエントロピーは全体としてはけして減少しない、と告げている。やがていつか宇宙は単純な存在へと崩壊する。退化が圧倒的に優勢なのである。複雑なものが自然に生まれる偶然は希少だから、進化は劣勢なのである。
 人はなぜ金(きん)を欲しがるのか。独特の輝きがあり、酸化しにくく、わずかしか採掘されない。役にたつ希少なものは貴重だ。人は、いくつかの有機物は合成できるようになったが、生命の合成にはまだ成功していない。地球外生物もまだ発見されていない。生命は、宇宙の小さな領域に、幸運な偶然が重なって創発(一段階上の新しいものが自然に現れること)したものだから、貴重なのである。単純なものへの崩壊は、エントロピーの法則にしたがって、容易におきる。
 無性生殖の単細胞生物には個体がないと言ってもいい。分裂した細胞のどちらがもとの個体なのか。同じままの、あるいは変異した同じDNAを引き継いで、増殖する細胞の流れを、どこで区切ったら個体と言えるのか。ところが、有性生殖で生まれる一個の多細胞体のゲノム(ひとそろいの遺伝子)は、固有の仕方で混合された両親のDNA(のコピー)でできている。一卵性双生児のようにひとつの胚から分かれた場合以外、どの個体も固有のゲノムをもつことになる。ヒトなら、同じゲノムをもつ約60兆の細胞が、発生のさまざまな段階で選択的に遺伝子を発現させて分化し、構造化されて、個体を形成する。最近、構造化(形態の形成と維持)の現場で働くRNAの役割がわかってきて、研究者に注目されているようだ(雑誌『科学』06年5月号 岩波書店)。
 動物は、身体組織や器官の秩序ある動きで行動するから、情報の入出力を統制する系(神経系)を発達させて、脳をもつように進化した。ヒトの脳は、機能分化した約1兆の神経細胞を、一個平均1万個ほどのシナプス(信号中継点―情報処理端末)で結んで、情報を処理しているので、他の器官よりずっと複雑に構造化されている。
 単純な段階の脳は刺激と反応を直接に結びつける。次の、爬虫類から哺乳類までの脳は、環境からの入力を評価して、行動として出力する。どこで意識が現れたのか、はっきりとは言えない。複雑化のどこかの段階で、意識という個体の感覚と行動をモニターする機能が、脳に創発した。ヒトが地球上で最も発達した意識をもつ生物であることは確かである。モニターする自分をモニターする自意識まで獲得し、自分と他者の感情を評価する。認知と行動の間にさまざまな遅延時間をはさむこともできる。ものを言いたい衝動が生まれ、表情や動作、言葉や文字、映像や音楽などで認知や評価を表現して、他者と詳細なコミュニケーションを図る。意識化できる意識は心と言い換えてもいい。
 心があるから人生を苦しんだり楽しんだりする。死を恐れたりもする。意識がなければ、生も死も虫や草と同じ。価値の上下とは別のことだが、発達した意識をもつことが、ヒトという生物の特質である。わたしたちが人の命を虫や草の命と区別して扱うのは、ヒトがものを言いたい意識をもつ生き物だからだろう。何一つ表現できない寝たきりの病人でもだいじにしなければと思うのは、それでも心のなかでものを言っていると感じるから。死者をおろそかにしないのは、彼らのもの言う心がどこかに残っていると、信じたいから。
 宇宙全体を地球にたとえれば、ヒトという生物の種(しゅ)は、砂浜の一粒の砂より小さな存在だ。それでも、砂粒に宿る意識は、涯(はて)のない宇宙の涯も、時空が消えるミクロの次元も、悠久の過去と未来も構想できる。意識ある存在を欠いた宇宙は、在るのもないのも同じだ。このことに思い至った少数の物理学者が、「強い人間原理」を唱えた。宇宙は意識ある生物を生み出すために進化した、と。賛同者がずっと多いのは、「弱い人間原理」である。こちらは、わたしたちがいる宇宙は意識ある生物を生み出す条件を備えた宇宙だ、と語る。
 だが、意識を生み出す脳は複雑だから、人の心はもろく壊れやすい。フィンランドにも心の脆弱(ぜいじゃく)さを示す事例はたくさんある。
 (この項続く)