フィンランド・モデルは好きになれますか 29

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第一部
 今日も雨。鈴なりの庭のトマトは赤い実か゛5・6個ありそうだけど、外に出るのがめんどう。昨日取ったのが食べきれずにまだ残っているし、かといってほっておくのもなんだし、どうしよう。
 今日の写真は散策路近くの民家に咲いていた白ゆり。ウチの庭ではユリはとっくに終わってるけど、よそではいま盛りみたい。だいたいウチの花はみんな早いんだよね。そのかわり野菜はよそよりおそい。

第二部

         フィンランド・モデルは好きになれますか 29
4 福祉と経済

(2) 情報・サービス社会の教育

〔進取のフィンランドノスタルジアの日本〕
 OECD(経済協力開発機構)が03年に実施した第2回国際学力調査(PISA)で、成績上位国は次のようになっている()。
       
 順位 数学的リテラシー  科学的リテラシー   読解力     問題解決能力
  1   香港        フィンランド   フィンランド    韓国
  2  フィンランド      日本        韓国      香港
  3   韓国         香港       カナダ     フィンランド 
  4  オランダ        韓国      オーストラリア   日本
  5 リヒテンシュタイン    リヒテンシュタイン  リヒテンシュタイン ニュージーランド
     日本 6位               日本 14位

 00年の第一回は問題解決能力がなく、三項目だった。フィンランドは読解力が1位で他は3位と4位。三項目ともベスト・ファイブに入った唯一の国だった。今回は00年を上回る成績で、総合的に世界一。03年の日本は全項目で前回より順位を下げた。経済で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉がきかれた80年代、そしてその後の90年代にも、日本は国際学力調査でたいていトップかそれに近い順位を保っていた。21世紀にその地位が急落した最大の原因は、調査内容のちがいである。従来の知識量や定型的な技能の習熟度を測るものから、情報・サービス社会に必要な能力、知識や技能を生徒個人の判断で使いこなす能力を測るものに変わったのである。この点は後に論じる。先に、フィンランドと日本の関係者の態度を見ておこう。
 日本の下落の原因として、,任蓮中学のある国語教師が、「新しい指導要領で『ゆとり教育』を始めてから、十分に授業ができなくなった」ことを挙げている。△任蓮日本数学教育学会長の澤田利夫東京理科大教授が、授業時間の不足が原因だという。そして「歯止めをかけるために全国学力テストをやって、競い合う教育をしないといけない」、というのが中山文科相の談話だ( 法2-(2)で見たように、フィンランドOECD加盟国中で最も授業総時間が短く、生徒間の学力格差が小さい。改革以後、生徒間で成績順位を競わせるべきではないという考えが定着している。日本では逆に、覚える量が多く、授業時間が長く、生徒間の競争が激しい昔に戻そうとする。当然勉強はきつくなり、嫌がる生徒が増えるから、対策として精神教育強化を提唱する。
 安部次期首相候補は、重点政策の一つに教育基本法改定を挙げている。愛国心教育、奉仕活動の義務化などにより、国を頂点に末端の学校にまで公に奉仕する個の観念を徹底させ、その上で民営化を進めて、学校間・個人間の成績競争を煽ろうというのだ。家族にも介入できるように、「家庭教育」を条文化しようとしている。「公」への義務感を浸透させ、個人としての個人の精神領域を追い詰めようとする。義務感が植え込まれれば、知識量と定型技能を覚えさせられる苦痛に耐えられると空想する。
 日本の指導者に多い、自分の個人的成功体験を美化し、一般化したがる思考方法である。自分は上から示される価値観を進んで受け入れ、将来の指導的地位を目指して自ら努力した。それでいまの地位がある。同じような教育が広がれば問題が解決する、と。情報・サービス社会では、成功者でない人もみんな、自分の好みにこだわり、自分の価値観を重視する。彼らの需要を喚起するには、どのような政策が有効で、産業側にはどのような能力が必要なのか。その能力の発達はどのような教育が適しているのか。日本の指導者の大勢は、そういう経済・社会の客観的分析や、科学としての教育理論の研究より、個人的なノスタルジァにもとづく主観的判断を優先させている、としか思えない。
 フィンランドの教育関係者には、自分たちが教育で世界一になったことが腑に落ちず、戸惑っている気配がある。思うに、この謙虚さが成功につながったのだ。彼らは自国を特別誇るべきもののない小国とみなしてきた。そして、よき先例・最も新しい理論から積極的に学ぼうとつとめた。進歩=スウェーデンという気分が支配した時期もあったようだ。だがより広い世界的視野に目覚める。戦後日本の6・3制教育にも注目し、研究している。そして彼らがよしと判断したもの(おおむねOECD教育研究革新センターの提言に沿う方向)を、既成観念にとらわれず大胆に採用した。採用した原則は粘り強く維持しながら、具体策は問題点が見えるたびにこまめに修正した。
 戦後日本は新憲法教育基本法に当時世界最高水準だった理念を採用した。だが東西対立激化という国際情勢の変化に乗じて、理念を具体化する制度を確立する間もなく、指導者層の旧来の感覚に沿う方向で、新制度は換骨奪胎された。憲法基本法の理念は棚の上に祭り上げられてしまったのである。いまではその棚飾りさえ目障りだから変えようと声が大きく響いている。個人としての個人の豊かな精神世界が情報・サービス経済の土壌なのに、「行き過ぎた自由と個人主義」を目の敵(めのかたき)にする。序列秩序の上に作られる親和は、実現したことのない幻の過去である。幻の過去へのノスタルジァに駆られ、その秩序で統一された世界帝国を目指した時代を懐かしむ。むこうでは謙虚な小国意識で、世界の最も進んだ教育理論に忠実であろうと努力している。こちらでは大国意識が捨てられず、明治の迷妄にまで回帰したがっている。
 (この項続く)