初めて35度を超えました

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 今日の美幌は暑い。室内で35度は超えてます。それでも、外に出て日陰にいれば、そよ風が吹いてさわやかなのですが、外でブログを書くわけにいきません。少しは涼しくなるのを期待して、この時間に始めました。背中から扇風機の風を当てていますが、それでも腕に汗がにじみます。せめて涼しい話題を、ということで紋別地方にヒトが住み始めたころのことから。
 いまから2万年ほど前、旧石器時代末期はまだ氷期で海水面が低く、北海道は大陸と地続きでした。そのころマンモスやオオツノシカなど雪原の動物を追って、紋別周辺に石器人たちが渡ってきたのだそうです。その後1万年前ごろから縄文時代に入りました。土器などの出土品から生活の変化がうかがえるそうです。オムサロ原生花園と国道を隔てて、遺跡公園があり、縄文期の遺物が展示され、竪穴式住居が復元されています。いま書いていることはそこの解説の受け売りです。
 旧石器時代の狩猟移動生活はもちろん、間氷期に入ってからも、写真のような掘っ立て小屋では冬は寒かったでしょうね。いまとあまり変わらなかったかもしれない風景のなかで、こういう昔のくらしを復元した遺跡を見ていると、なんだか懐かしいような、そこで生きて死んでいった人々に対する親近感のような、不思議な感情が湧いてきます。江戸末期から明治にかけて、本土から移住して住み着いた人々は、断熱住宅に住むわれわれより、むしろ縄文人たちに近いところから始めたのではないでしょうか。わら小屋みたいな家で、氷点下20度を下回る冬を耐えていたなんて、すごいな!
 ところで、「アイヌ」という人種が成立したのは、いまから700年ほど前、本土の室町時代だって、知ってました?なんだか大昔からいた先住民族みたいな印象をもっていたのは、無知なわたしだけかな。