すべての歳が未体験

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 子どもの頃や若いときを振り返って、あのときからやり直せればこうするのに、とか思うことがあります。でもせんないこと、あたりまえですが、後ろ向きに時間は流れません。年々未体験の歳が現れるだけです。これって、案内人なしに荒野を進んでいくようで、怖いことじゃないでしょうか。若いときは無鉄砲だったので、そんなことはあまり感じませんでした。いま老境にさしかかり、体や脳が思うようにいかないことが増えて、どうなるのかと不安がつのります。人生の先輩はいっぱいいますが、みっともないところはさらけ出してくれませんから、あまり参考になりません。
 わたしのお師匠さん(わたしが一方的にそう思っているだけですが)の吉本隆明が、朝日新聞社から『老いの超え方』という本を出しました。見事です。寝るときは紙おむつをしているので、陰部がかぶれてかゆかった、なんていう、普通の人は本にしないようなことをちゃんと書いています。だれの言葉か忘れましたが、「ものを書くのは、裸で大通りに寝転がるような恥ずかしいことだ、」というセリフを読んだことがあります。以前から思っていましたが、吉本さんにはきちんとした物書きの覚悟があるんですね。恥ずかしさを超えて、自分をさらけ出すことができる、これってすごいことです。
 彼は80歳、十数年後のわたしです。この本にはこれから彼の後を追って老いていくわれわれにとって、いい道案内になりそうなことがいっぱい書いてあります。また、医療とか介護とかで高齢者と接する専門家は、この内容からじっくり学んでもらいたいと思いました。若い自分の感覚や体験からは、老いた人の感じ方はけして想像できないのです。そして、たいていの高齢者は自分の思いを的確に表現する訓練を経ていないし、かっこ悪いことは言いません。高齢者に親身になっているつもりの専門家でも、見当違いをします。高齢者は、どうせ言ってもわかってくれないとか、親切にしてくれているのに本音を言ったら悪い、とか思って引っ込みますから、介護者と被介護者のすれ違いはどんどん広がります。吉本さん流に言えば、病院や施設は留置所と同じになっています。
 若いうちから、自分の未体験の明日を少しは恐れ、わたしにとっての吉本さんのような、いい案内人を見つけられたら、後になっての後悔が少しは減るかもしれません。

 今日の写真は北見フラワー・パラダイスの、バラとヒソップとダブル・ディージーです。