地球温暖化への異論を考える (最終回)

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 今日の写真はサロマ湖です。原生花園入り口のセンター付近で撮りましたので、湖の広さは出ていません。海への開口部近くだともっと広々した水面が見られるのですが、この日は100キロマラソンが開催されていて、自転車でそちらへ行くことは禁じられていました。 

 イ砲弔い董A:クライトンは自然環境の保護に賛成です。ただし、現在の自然保護運動には強く異論を唱えます。環境保護団体はむしろ足を引っ張っている、と。フィールドで調査に当たる人員を増やせ、研究者が、製薬会社や政府や環境保護団体のひも付きでない資金で、公平中立の立場で、研究できるようにしろ、不確定なことを絶対確実であるかのように語るものを信じるな、これが彼の主張です。小説の中で登場人物に、公平中立な研究を推進するにはどう財団を運営すればいいか、語らせています。
B:クライトン化石燃料をほかの燃料に切り替えることに賛成です。ただし、立法や経済支援や炭素固定計画や煽動がなくても、次の世紀には切り替えが進む、と考えています。
 Aはわたしもおおむね賛成です。環境保護団体についてはほとんど実態を知りませんから、なんとも言えません。ただ、全体を見ない部分的な主張を絶対正義のように唱える意見を、時々見たり読んだりすることがありますので、環境保護を名乗る団体のすべてを信用するわけにはいかない、と思っています。
 小泉政権の下で行われた大学改革で、研究者がひも付きでない研究資金を手に入れるチャンスが前より減っているのではないかと、危惧しています。スポンサーがいて、無意識にでもバイアスがかかると、「科学的」と称する発表が、適切な自然保護(動・植・鉱物の豊富な情報を、いまと未来のヒトのくらしの豊かさを促進するように維持するもの)を、妨害する手段になりかねません。
 Bについては、後半部分から、何もせずに成り行きに任せれはいいという結論になるのなら、わたしは反対です。NHKの番組のように、視聴者にIPCC予測を確実な未来と思わせるのは不当です。しかし、化石燃料の大量消費や、都市のヒートアイランド化・森林開拓などの人為が、気候急変のきっかけになる可能性を全否定することもできません。人為でなくても、地球環境は急激な変動期と相対的な安定期とがあって、いま再び変動期の入り口にさしかかっている、という説もあります。
 20年後か、200年後か、1000年後かは確定できなませんが、人為あるいは自然な要因から、気候が急変する可能性はあります。備えることは必要だと思います。温暖化の暴走も氷期の再来も、いまのままだと人間文明の危機になりかねませんから。現在の人間活動が気候に危険な方向で干渉している確率がゼロでないなら、その影響を緩和する行動をとるべきです。
 気候変動の自然なメカニズムに関する研究をできるだけ進め、その中に人為的干渉の影響を組み込んで予測の確率を上げる努力は、もっと力を入れてもらいたいと思います。そしてその結果を、一方向に偏した煽動的なやり方ではなく、異論にも正当な発言機会を保障する公平中立的なやり方で、逐次発表してほしい。十分な情報開示の下で集約される集合的な判断は、少数の専門家の断定的な結論に勝ると、わたしは信じています。カオスやカタストロフィーを含む、気候のような不確定な複雑系にかかわる政策は、集合的に決定されるべきです。
 地球温暖化についての、第二部で書いたわたしの評論は、前半部分のトーンは間違っていました。IPCC予測は、一つの予測であることをもっと強調すべきでした。しかし後半部分は、それほど変更する必要を感じません。(このテーマ終わり)