北の森春めいて

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 今日は真冬日の予報ですが、気温がプラスになる晴れた日にはどんどん雪が融けます。せせらぎ公園でも林

や土手の斜面など、地肌の露出が広がっていました。もうすぐ福寿草の花やフキノトウが見られるでしょう。



                    平安初期の東北大地震

 東北エミシ関係の文献で、貞観(じょうがん)陸奥地震という言葉を目にして、


少し調べてみました。貞観11年(869年)5月26日に岩手県沖から福島県沖または茨城


県沖に及ぶ大地震が起き、それにともなう大津波陸奥国(東北6県の右半分)を中心に


1千人の死者が出た大災害のことです。プレート境界型で、マグニチュード8.3以上と


いう推定がありました。当時青森など東北最北部はエミシの領域で朝廷の行政が及んで


いませんから、その地域を含めれば死者はもっと多いかもしれません。900年の東北(


奥国と出羽国)の人口は推定で562200(鬼頭宏1996)なので、1千人はその約0.18


ーセント。2011311東北関東大地震津波の死者は最終的に2万人を超えるのでし


ょうか。09年の統計で東北6県の人口は合計で944万人、犠牲者数を2万人と仮定


すると0.2パーセント強です。千百余年の間隔で似たような大地震が起きたことにな


ります。


 今回の災害報道では「予想もしなかった」「想定以上」などの言葉をよく見ます。し


かしこの地域でのプレート境界型大地震はほぼ千年おきに発生するとされていたとか。


そして古文書には、割合とすれば今回と同じ程度の死者が記録されています。わたしの


ような素人でもこの二つを知っていれば、今回のような事態を予測したでしょう。原発


建設の前に学識豊かな専門家がリスク評価していたはずなのに、なぜ「予想もしなかっ


た」とか「想定以上」とかといまさら言われるのか、納得がいきません。そして地震


津波に対しても、直前予知=事前退避という誤った路線に惑わされず、大地に刻まれた


記録や古文書などで過去を精査していれば、もっとましな防災計画が立てられていたで


しょう。

ともあれかつての東北住民は、
大和・奈良王朝のエミシ領侵略で起きた8世紀の戦乱

 で、人口を減らし山野が荒廃していました。追い討ちをかけるような869年の大災害で

 す。中央政府はせいぜい税を減免するだけで、今のような全国的・国際的な復興支援

 はなかったでしょう。それでも彼らは自助自立の気概を失うことなく、たくましい復

 興を遂げます。奥州藤原氏の時代には、あのきらびやかな文化を支えられるほどの力

 をつけていました。