クナシリの島影

 nam**i214さん、完走なさったようですね。ごくろうさまでした。小清水もあやめが原も花の最盛期。同行者の
 
みなさんに喜んでもらえてなによりです。野鳥好きの方には釧路湿原温根内遊歩道がお勧めかも。
 
 
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 クナシリ島は知床半島の2倍はあろうかという大きな島です。羅臼海岸からだと長い横腹が目の前ですから、
 
本当に近く見えます。標津、野付半島からは南端の一部だけが見えているので、それほど近くは感じられませ
 
ん。しかし三枚目の赤い旗を見てください。ここを越えたら拿捕されるという境界の印だと思います。標津や別海
 
の漁師さんたちは、豊かな海の幸を目の前にして指をくわえていなくてはなりません。くやしいでしょうね。肉眼だ
 
と海岸から旗まではすぐそこという感じです。
 
 20年前までは縄文人南方起源説がほぼ定説でしたが、いまは、少なくとも北海道・東北の縄文人の祖先にな
 
った旧石器人は、マンモスを追ってシベリアから来たとされています。ここからもそれほど遠くない白滝は細石刃
 
の原料となる黒曜石の一大産地で、その黒曜石で作られた石器はサハリンの遺跡からも出土しています。かつ
 
て、サハリン、南千島諸島、北海道は細石刃文化を共有していたのでしょう。
 
 納沙布岬からはハボマイ、シコタンが、羅臼や野付からはクナシリが、宗谷岬からはサハリン南部が目の前で
 
す。世界地図を開くとキエフ・モスクワという西方ロシアははるか彼方です。キエフゲルマン人の一派が建国し
 
た公国が始まりです。極東ロシア、カムチャツカの先住民も、西方ロシア人より北海道縄文人にずっと近かった
 
はずです。ロシア帝国の東進と江戸・明治以降の本州人による道内先住民迫害で、極東北方民の交流が断た
 
れました。この一帯の住民が再び文化を共有する姿は、はかない夢でしかないのでしょうか。