霞立つ美幌川

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 今朝は-20度近くまで冷え込んだようですから、写真のような霞が立つことでしょう。近くで見ると

まるで鍋の湯気みたいです。でも周りは雪と霧氷で、露出した頬は凍えて固くなっています。湯気は暖か

いという経験が染み付いているからでしょうか、頭ではわかっていても、なんだか非現実的な感覚です。


             〔裁判員制度について〕

 裁判員制度陪審制度について少し考えました。人が人を裁く。なにか不遜なようで抵抗感がありま

す。特に自分が裁く行為に参加するなんで、できれば避けたい気分です。だけど、弱肉強食の無法状態

は人々の社会的協働は成立しません。法が必要なことは認めた上で、人の裁定を回避する方法はあるでし

ょうか。例えば審理過程をすべて入力して、コンピュータに判決を委ねるとします。入力に人の恣意が働

くことがなければ、判決は客観的になるでしょう。

 こんなケースを考えてみます。人を殴り骨折させた子が疲労困憊して家にたどり着く。親が風呂に入

れ、暖かい食事を用意して、ゆっくり食べなさせる。食べ終わったら一緒に警察に行こう、と思ってい

る。あるいは同じ状況で、食べ終わったら逃亡させるつもりでいる。そこへ踏み込んだ警官が、子といっ

しょに事後従犯で親も逮捕する。意図を問題にしなければ、どちらも警察に通報せずに、一定時間犯人を

匿った行為は同じです。条文に「意図」を裁く規定を盛り込もうとすれば泥沼です。行為だけを裁くので

あれば、コンピュータは両方に同じ判決を下すでしょう。それが不当だと思うなら、コンピュータではな

く人が裁くしかないと思います。

 人が裁くにしてもその責任は専門家にあるので、素人に負担を押し付けるべきではない、という意見も

ありそうです。先のケースで、次のような事情で事件が起きたとします。政府与党が企業による無責任な

労働者の使い捨てを合法化したため、若者のあいだに深刻な貧困が拡大している。それに抗議する政治デ

モに、なんとしても職を得られない子が参加した。そこへ誰かに雇われた暴力団が襲い掛かり、警官は傍

観していた。混乱のなかで無我夢中で振り回したプラカードが襲撃者の一人に当たり骨折させてしまっ

た。

 法律の専門家は、一般的には、社会の中・上層に属するエリートです。彼らの社会的意識は、平均的に

は、貧困に苦しむ下層の人々より企業幹部や体制側政治家に近いのではないでしょうか。切実な貧困の苦

痛を体験した人は少ないと思います。階層化が進んで経済的に苦しい家庭から高等教育にもっと進みにく

くなれば、この傾向はさらに強くなります。彼らの裁きでは、子を自首させようとした親と逃がそうとし

た親の、どちらに多く情状酌量がなされるのでしょう。

 裁判員陪審員はすべての社会層から無作為に選出されます。人の価値観は多様ですから、当たり外れ

は避けられません。それでもさまざまな層からの参加があるほうが、法律の専門家だけで構成される法廷

よりは、階層的偏見が緩和される可能性が大きくなると思います。もつともそれも、右翼的または左翼的

政治権力、あるいは大衆の熱狂などによる、脅迫・誘導が影響することがなければ、ですけど。