田園風景 地球人意識

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 昨日の田園風景の続きです。


 〔地球人意識〕
 自分で使っておいてなんだけど、「地球人」ということばはSFみたいでしっくりきません。1950年

代から70年代にかけて、核戦争による人類絶滅の可能性が言われるようになって、人種や国籍を超える

ヒトという意識が、庶民レベルにまで及びました。最近は環境危機や地球温暖化が日常会話の話題にもな

り、運命共同体としてのヒトの存在が、再びリアリティーを増してきています。ヒトの一員としての感覚

が、国籍や性別などと同じように、自分のアイデンティティーの一部になったもの、それを短いことばで

表現したいのです。「人類意識」は「人類みな兄弟」を思い出させるし、「世界人意識」では根無し草み

たいだし。しかたがないのでとりあえず、「地球人意識」でいきます。

 昔から、「オレはケモノじゃない」という意味では、ヒトとしての意識はあったでしょう。しかし例え

ば原始時代の狩猟人は、どこか遠い世界に異人が住むと聞いても、一緒に猟をする犬より強い仲間意識は

もたなかったと思います。ゲルマン中世には、特許状のないstranger(よそ者)を、獣と同じように狩の対

象とする法律がありました。江戸時代の庶民は、うわさに聞く南蛮人や紅毛人を、自分たちの同類と感じ

たでしょうか。アフリカ人を狩りたてた奴隷商人に、彼らをヒトと見る感覚はなかったと思います。ヒッ

トラーにはユダヤ人は邪悪な異物でしかなかったようです。冷害や旱魃でいつ大量の餓死者が出るかもし

れないとか、国が破綻して国民の生活を護る能力がないとかで、衣食住の確保に必死な人々には、地球の

反対側に住む人との同類意識を育てる余裕はないでしょう。

 庶民に及ぶ「地球人意識」の歴史は、せいぜい五・六十年です。グローバルな個人意識は、グローバル

な危機に照らしだされて浮上しました。いままではどの文明も、国や民族を滅ぼす力をもつことはあって

も、ヒト全体を滅亡させる能力はありませんでした。だから無邪気に戦争ができました。世界人口がかつ

てのように数百万人規模なら、氷河期が再来したり、巨大噴火が光をさえぎったりしても、地球のどこか

片隅に残る生態系を頼りに、ヒトの小集団が環境の回復まで持ちこたえるかもしれません。

 いま人口は64億を超え、狩猟採取の数百倍の生産効率を実現しています。64億人の6割は、生活必

需品の確保に悩むことはありません。その上、グローバルな情報通信と交通が普及し、地球全体がかつて

の国より狭い情報距離に納まりました。だけどその生産力の裏側は、地球上のすべてのヒトを、核戦争や

温暖化の暴走などで死滅させることのできる破壊力です。いまのヒトは、再生の芽を残さない滅びを自分

から招く力を備えました。わたしたちは、ヒトの歴史ではじめて、リアリティーのある「地球人意識」

と、ヒトという生物種を消滅させる力とに、向き合って生きています。

 100年後の未来予測はほとんど空想です。でも25年先の世界なら、専門家はかなり現実味のあるい

くつかのシナリオを提出しています(そのうち一つか二つ紹介できるかも)。地球環境の現在と温暖化の趨

勢から見て、これから数年の各国の政治的、経済的意思決定が、ヒトがたどるシナリオの選択になりそう

です。わたしたちの無意識のなかの「地球人意識」は、その意思決定に影響を与えられるところまで、育

っているでしょうか。