朝の灯台 除染というまやかし

  hellopapaさん、病名が判明するまでにずいぶん病院を回られたのですね。予後の見通しが楽観できない
 
ようで、お気持ちを思うと・・・・・・・。

イメージ 1

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 2


 はじめの5枚は能取岬の灯台です。歩きはじめたときは点灯していましたが、帰るときには消えていました。下
 
のほうで赤く光っているのが何なのかふしぎで、近づいてよく見たら、太陽光発電のパネルです。知床の山際に
 
昇ったばかりの陽の光をちょうど受ける列だけが輝いています。最後の一枚は網走港の灯台
 
 
                       「除染」というまやかし        
 
 最近フクシマ原発事故に関連して、「除染」という言葉を新聞でよく見ます。以前は原発推進の立場をとってい
 
たマス・メディアが、またも人々を惑わす言葉を使うことに苛立ちを感じます。半減期が変わる訳はないのだか
 
ら、放射能汚染を「除く」ことは不可能です。ただ汚染を他の場所に移すだけのこと。それを、ないものにできるよ
 
うな言葉を使うとは!
 
 わたしは以前から原発には反対でしたが、重大事故の可能性については楽観しているところがありました。判
 
断の甘さに忸怩たるものがあります。とはいえ今も、事故があろうとなかろうと反対という立場は同じです。最大
 
の理由は、放射性廃棄物を安全・低コストで投棄する場所がないから。宇宙空間かマントルに投棄すれば、もと
 
もと自然放射能が充満している場所ですから、問題はないでしょう。しかし技術的には可能になったとしても、コ
 
ストが膨大になるので、まったく現実的ではありません。
 
 予想されたとおり、野田内閣になって原発廃止への動きがどんどん後退しています。選挙でなんとかしたくて
 
も、はっきり反原発を宣言して当選できる候補者はいそうもないし。カネのある人は目先の経済が何よりだい
 
じ。カネがなくては選挙に出られません。それを思うと、なんだかやりきれなくて。