流氷去った北の海

 まりさん、国家主義的心情から都知事の「天罰」に共感する方の記事を転載されていますね。わたしは大義
 
身近な親しいものの保護が矛盾したときは、後者を優先する人のほうが好きです。
 
 
 そらさんそうですね。そのなかに身を置いた短い間だけでも、自然の景観に心を委ねて憂いを忘れたいもので
 
す。それができないと心のバランスが狂いますよ。とは言え3.11以後、わたし自身その場を離れるとすぐ、見 
 
たばかりの景色の色彩が色あせるようで、心もとない気分です。
 
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 8日に網走地方気象台が今年の流氷終日は3月12日だったと発表しました。観測史上最も早い記録だとか。
 
接岸初日は1月29日と、近年では早いほうだったのに、やっぱり流氷域の勢いは弱かったみたい。写真は3月
 
下旬に能取岬で撮ったものです。海では漁船が盛んに漁をしており、崖際には福寿草の花が咲いていたけれ
 
ど、まだ沖には流氷の断片が漂い、崖下には沿岸氷が残っていました。
 
 
 やっと今回の原発事故の規模が7と訂正されました。初めの4から5へ7へと、外からの批判に晒されて遅まき
 
ながらしぶしぶ認めたという印象です。できるだけ事故を小さく判断したいという、誰かの意識的または無意識的
 
な意思が作用したのでしょうね。
 
 だいたい情報開示および事故修復のヘゲモニーが、「戦犯」である東電や保安院に委ねられていたこと自体が
 
不自然です。燃料棒融溶の事実を認めたがらなかったり、初動が遅れたり、作業員への配慮が足りなかった
 
り、自衛隊や諸外国の核緊急事態専門家の能力を十分活用しなかったり。専門知識・能力を持ち、第三者の立
 
場から客観的に判断できる人材を外部から集め、指揮系列を一元化し現場に指揮所を置いて事に当たるべきだ
 
ったと思います。
 
 東電本社や東京の役所から事故に責任がある人々が指令したのでは、自分の保身だけでなく、会社、官僚、
 
国家などの所属組織への忠誠心が災いして、被害を被る住民・国民・諸外国への配慮に欠けるところが出ること
 
は、当然予測できることです。そういう指揮系列の欠陥が見えるからこそ、外国から情報公開が足りないと批判
 
されるのではないでしょうか。