サロマ湖朝漁 ムダの効用 27

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 早朝のワツカ原生花園サロマ湖栄浦の岸辺に立つと、漁をするたくさんの漁船が目に入ります。波を蹴立て

てかなりのスピードで行き交う船、一定間隔で列を作っているように見える船、動と静。歩き始める前にしばらく見

入っていました。


                           〔ムダの効用 〕

27 健康に死ぬ

 

 ある調査で、致命的なガンのひとつ・頚部ガンを患っている患者に生活の満足度を質問したら、健


康な人や治る見込みのある整形外科患者とほぼ同じ割合で、肯定的な回答があったそうです。頚部ガ


ンですから、自分の病態を知らないわけではありません。 長野県佐久市 で、高血圧、糖尿病、変形性


関節症などを患う高齢者に、「あなたは健康だと思いますか」と問うと、ほとんどの人が「はい」と


答えたそうです。東京都では認知症患者の約半数に夜間せん妄、徘徊、暴言、被害妄想などの「周辺


症状」が見られるのに、「在宅呆け老人」有病率が同じ沖縄県農村部の佐敷村では、周辺症状は皆無


だったそうです。(雑誌「科学」20103月号2879) どうやら人は、経済状態、家族関係、介助、娯


楽などに不安がないと、死が迫っていても生活満足感を維持でき、病気でも健康だと感じ、認知が損


なわれても穏やかにくらせるようです。記事の著者(大井玄)は、「「健康に死ぬ」ことさえ可能なのだ


」という、カガワ=シンガーの言葉に同意しています。


 1万3000年前ごろ、地球の片隅で農耕牧畜が始まります。この前後の時期、アフリカ、ヨーロ


ッパ、アジア、南北アメリカ、オーストラリアの世界各地で、狩猟採集民の高度な文化が栄えていま


した。幸運にも現在まで残ったそのころの壁画を見ると(例えば今年9月BS103で放映された「世


界遺産一万年の叙事詩 1)、彼らの動物に対する知識はきわめて精緻なものであったことがわかりま


す。ブラジルのカピバラ山地の絵からは、狩猟民が人と人のつながりをどんなに大切にしていたかも


伝わってきます。ジャレド・ダイヤモンドは、縄文人の石器や土器が当時の世界最先端の水準にあっ


たと評価しています(『銃・病原菌・鉄 上』3頁)


 初めに農牧に頼るくらしに移った人々は極めて少数です。しかし彼らは富と権力を求める欲望に点


火することになりました。それが文明(食糧生産にもとづくくらし)の推進力になります。燃えはじめた


小さな火が、だんだん大きな炎になって、20世紀に絶頂期を迎えました。絶頂期とは衰退が始まる


前夜ということです。富は現代の個人にとっては高収入と高資産、権力は職業上の地位と権威。現代


国家にとっては、GDP(国内総生産)と国力(武力や国の威信など)に該当するでしょうか。


 日本の菅首相は6月の就任に際して、経済力や国力ではなく、「最小不幸社会」を目標に掲げまし


た。国連や世界各国の一部で、収入やGDPとは別に、生活満足感=幸福感を個人の目標、政策の基


準にすべきではないかという声が、彼の耳に届くほど高くなっていたのです。しかし衰退期の始まり


は絶頂期と重なっています。富と権力を求めて競うのは、社会を現在まで進歩させたヒトの本能だと


いうような思い込みが、いまも多くの人々を支配しています。特にアメリカでは、貧しい人々の無意


識にまで、広く深く浸透しているようです。その一方でアメリカにも、収入と地位は幸福感を保障し


ないと認識する人も少なくない。いたるところで新旧の価値観がせめぎあう時代になったということ


です。

 

 近代化以前の伝統が残る農耕社会に、人々の間の、あるいは自然との調和を重んじる、平和な民を


見ようとする人がいます。しかし、農業化、牧畜化が進んだ社会はほとんど例外なく、階層格差を生


み、戦闘集団を作り、戦争を繰り返して、支配領域を拡大しようとしました。農耕こそが平和と調和


の基礎という主張はかつて、農本主義ファシズムポルポト主義のような危険な思想につながりまし


た。患者の満足度の高い病院、病んでも不安の少ない地域社会は、条件が整って人々の自覚的な努力


があれば、とりあえず実現不可能ではないでしょう。そこには、農耕以前の狩猟採集社会と通底する


人と人のつながりが、部分的にでも再現されていると思います。ただし、最低でも国家規模の広がり


がないと、そういうシステムが安定して長期に存続することは困難かもしれません。


 生物分類学上のサル目(霊長類)ヒト科(ホミニド)のなかで、オランウータン属、ゴリラ属、パン属


(チンパンジーボノボ)と順に別れ、ヒト亜科が成立したのは約600万年前とされています。アウス


トラロピテクス、パラントロプスなどからホモ・サピエンスまでのほぼ600万年間、ヒトは狩猟採


集でくらしてきました。食糧生産を知らない人々には、富も権力も未知の欲望です。この章の初めに


挙げた雑誌で、池本幸生はリチャード・ウィルキンソンの『格差社会の衝撃』をこう要約しています(3


01)。「平等な狩猟採集時代に、人間の身体は平等な社会に生きるように進化してきたので、不平等


な社会では不健康になる」、と。狩猟採集は600万年、文明は先行した地域でも1万3000年。


リトル・トリーやグイの人々がくらした世界を垣間見ると、満足感のなかで死に、病気でも健康に感


じ、ボケても気持ちが穏やかでいられる可能性は、文明世界よりその前の600万年間の方が大きか


ったのではないか、そう思えてきます。


 今でもまだ、幸福感は主観的なもので、GDPや収入のように客観的なものではないから、政策の


基準にならないと考える人が多いでしょう。以下の章でこの点を検討し、さらに幸福という基準から


はすぐれていた狩猟採集社会がなぜ文明社会に取って代わられたのか、そして現在の転換期はどこに


向かおうとしているのか、などを考えるつもりです。(続く)