ルピナス ムダの効用 24
タムラ、藤の花を食べているんだ!花って食べられるものが多いみたいだね。菊は小さいころから食べなれて
いるけれど、他はまだチャンスがなくて。
たのが、本州が住みにくくなって近年道内で増え、もともといた鳥が迷惑している、というような話しをどこかで聞
いたような。
アが育つと思います。「アカシアの雨に打たれて・・・・」など歌に出てくるのはニセアカシアのことだとか。
まりさん、ドイツもニセアカシアのほうでしょうか。ところできれいな夕焼け! 秋はつかの間に色褪せるけれ
ど、今だとずいぶん長く続くみたいですね。
たるところに咲いているので、一度は撮らなければ、と。しみじみ見つめると、やっぱりきれいですね。
〔ムダの効用〕
24 結婚とザーク=婚外性関係(前)
菅原さんは、グイの老人が若いときに行ったと語る「女の略奪」に関連して、彼らに
とって結婚相手としての「女は、生殖力と労働力を備えた「身体資源」なのである」
と、書いています(③158頁)。「身体資源」という言葉に触発されてわたしは考えま
す。もともとはどこでも結婚相手は、その社会で標準的な生活を営むために「資源」価
値のある人間だっただろうと。それぞれの核家族は親族・姻族という社会的連携の結節
点ですから、同居する家族だけでなく周りの人々にとっても、嫁は必要な資源です。日
本の江戸時代に盛んに行われた婿を取る養子縁組では、男が資源です。
今でも婚姻には資源として互いの身体を所有することの公認という意味が残っていま
す。体力・容貌だけでなく、財産・経済力・社会的地位・人的つながりなども、身体と
しての資源の価値に含まれます。古今東西、それらの点で優れていれば、一般には結婚
相手の選択が有利になります。個体生存に食料資源が不可欠なように、結婚相手は安定
した社会生活を営み、子孫の繁栄を図るために必要な資源です。必要な資源だから、か
つての分散的な小集団で女性が不足すれば略奪婚が、男性戦士だけの外征が長期化すれ
ば戦利品としての女性の分配が行われました。食糧を狩り採取して分配するのと同じよ
うに。
婚姻が成立すると、夫婦の協働と分業による相互扶助、子の養育権、互いの親族との
連携の他に、夫婦互いの性的身体の独占使用権が社会から公認されます。鳥や獣の一部
には生涯同じ番いを維持する本能をインプットされている種もありますが、チンパンジ
ーやヒトの性的本能は乱交のようです。永続的な婚姻はきっと、本能からではなく、む
しろ本能に逆らって社会的必要から、人類史のどこかの段階で形成されたシステムで
す。男女が番いを作る鳥と同じように協働と分業で子を成し育てるだけでなく、親子・
きょうだいを越えて連携を拡大するため、婚姻という形式を採用したのだと思います。
和式の婚姻では一般に三々九度で両家の契りが誓約されます。グイは親族が新郎新婦
の体を剃刀で傷つけ互いの傷口に血を擦りこみます。挙式は「血をまぜあわせる」と表
現されます。体から出る物質を媒介とする調和と一体化の儀式が、当人や生まれる子ど
もの病気など、悪しきものを遠ざけるという観念からのようです。結婚した夫婦は同じ
家に同居して生計をともにし、男は主として狩り、女は採集や家事を分担します。 (①6
2頁 ③140頁) グイも親族・姻族のつながりが大きな意味をもつ社会でした。どの婚姻
儀礼も婚姻に性愛を越える永続性を期待していたのでしょう。婚姻の永続のためには、
移ろいやすいエロス関係は障害です。キリスト教は特に敏感に反応し、かつて夫婦間で
も性的快感は罪だと規定しました。イスラム教の一部は、少なくとも女性の性感は抑圧
しようと、陰核切除を教義に含めました。
キリスト教の結婚式では一般に、「病めるときも健やかなときも・・・・・、二人が生き
ているかぎり・・・・・」というような文句で、神の前で生涯の愛を誓います。中世キリス
ト教は、性交が許されるのは子を成すためだけだ、と説きました。宗派によっては離婚
が原則的には生涯禁止されています。いかなる戒律によっても根絶不可能な性愛の代替
物として、中世の西欧で「愛」というフィクション(後に詳論)が作り出されました。今
では、輪郭があいまいになった「愛」の観念が、キリスト教社会を越えて普及し、浅く
あるいは深くわたしたちの心を制約しています。
グイの人々のザーク(婚外性関係)に対する態度には、「愛」という観念を知らない社
会が、婚姻と男女の性愛の矛盾に対応する、一つの興味深い形が見られます。ザークと
は「血をまぜあわせる」儀式を経ていない男女の性関係です。未婚の男女がザークから
結婚に移行することも、既婚者のザークから離婚と新たな結婚が生じることも、男のザ
ーク相手の女が妻の同意の下に同じキャンプに住むことも、二組の夫婦が同意して長期
間ザーク関係になる(「ザークそのもの」と呼ばれる―③142頁)こともあります。婚外の
60・61頁)。
菅原さんは「既婚の男女は機会あるごとに異性とザーク関係をもとうと」し、「一生
に一度もザークを経験していない人はまれである」と書いています(③141頁)。女性が受
の立場はほぼ対等―①331頁」です。ザークで女性が受身にならずにすむのは、夫以外
の男と儲けた子でも、養育にまったく支障がないからかもしれません。
再婚した夫は妻の連れ子を養育するし、妻のザークで生まれた子は、実の子ではない
と自分にも仲間にもわかっているのに、けっきょくは夫が父子関係を承認します。養育
すれば、子からも周囲からも最も近い親族である父として承認されることも、理由の一
つと考えられます。しかし本当の理由は、他の男の子を宿した妻に対する怒りは、幼な
子の愛らしさに勝てないということかもしれません(①196-198頁)。血のつながり、貞
操、「愛」、相続などの「文明的」フィクションに妨げられなければ、自然な感情がも
っとも強く作用しますから。夫がいない女性も、キャンプでは狩の獲物が平等に分配さ
れるので、子の養育には困りません。ところが、母を失った幼い子は父がいても、継母
が養育しないので、無事に育つことが困難だと書かれています(同前)。(ザークのテーマ
は次回に続く)